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2011/10/05

今年の11月2日は夫の50回忌に当たる。

戦争中に「軍からの命令」で夫が結婚の為満州国国境にあるハイラルから帰ってきた。
日数に制限があるため夫の実家のほうでは相手をお膳立てして待ったらしい 

白羽の矢がたったのが幸か不幸か、そんな成り行きなど夢にも知らない私である
僅か10日間のあいだに見合い 結婚 親戚周りをかねた新婚旅行
直ぐ満州国へ男は皆兵役に狩り出され「トラック1杯の女に男1人の」難関を突破した私なり振りなど考えず親の勧めで今では考えられない見ず知らずのひと結婚した
それが幸か不幸なのか今の人生の自分である 

そして迎えた終戦。
長男を連れての引き上げ折角祖国の土を踏みながら子供は佐世保海軍病院で死亡
夫もソ連抑留10年後に舞鶴上陸したものの、過酷な労働に帰国後そのまま日赤に入院
子供2人をさづかったものの6年目に死亡した

一体何日夫婦として暮らしただろう。
法事は春秋苑の墓地のある目の前の本堂で執り行う予定だ
予約はちゃんとして有ったが、そのための下見に先日息子と娘と3人で又春秋苑に行った

50年なんて2度と出会う事も無いのだからと派手な50年祭を予約したらしいが万事遺漏の無いように確認にまた行ったのだ
地方からまで大勢の人を呼んで[仕舞った]と言う事が有ってはもう 取り返しがつかない

行って見てよかった 料理のこともお返しの茶の子のことも3人で取り決め昼食もすませて先ほど、帰った

2011/10/05 12:10 | kyon | No Comments