« | Home | »

2011/09/19

先日、母のリサイタルが終了しました。

2年に1度のペースでリサイタルを開催してきた母も、この10年くらいは満身創痍で、手術などもあり今回は5年ぶりの開催。

私は費用や事務など諸々の負担をかけないよう、少しでも力になれればと、チラシやプログラムのデザインを担当。「ひたすらシンプルに、読みやすいように文字は大きめで」という要望は、実に母らしいものでした。

さて、ヴァイオリンそして音楽一筋だった祖父同様、母もまた音楽に真摯に向かい合ってきた人です。私はなぜ二人の血を継がず多趣味になってしまったのか…という話はともかく、音楽家、演奏家、教育者としての母には尊敬の一言しかありません。

そんな母は決して日本のマスコミが大好きな「天才」タイプのピアニストではありません。いや、「努力する事の天才」と言えば良いのかな。真面目に輪をかけたような性格で、本当に音楽が好きだからこそ、よくありがちなレパートリーを回して頻繁に演奏会を行うような事をせず、二年に一度のリサイタルに全力を傾けてきました。

その一方で教師として本当に多くの生徒を抱え、ピアノの技術だけではなく人間教育として礼儀から教える厳しさで、コンクール入賞者を輩出するだけでなく、素晴らしい教師をも育てています。

今では音大の教授という立場にあり、リサイタルをしなくても名前に傷がつく訳でもないのに現役に拘る、それはただ母が音楽を愛しているからなんだと思います。

私も演奏家の端くれとして、年齢を重ねる毎に音楽の難しさや怖さを知り、体力や技術の衰えを感じてきていますから、あの年齢で、そしてあの過密スケジュールの中でソロリサイタルを開催する勇気には感服するばかりです。

そんな母も、先月会った時は体力と暗譜能力の衰え、そしてブランクの長さによる本番感覚の欠如が不安だと話していました。私もそんな弱気な発言をする母は初めてだったので、数日前からはほとんど連絡をしないようにすらしたくらい。

いざ会場に到着して驚いたのは、開場前にも関わらず既に長蛇の列が出来ていたこと。事務所によれば完売だったとのこと。小ホールといえど東京文化会館完売はなかなか無いこと。始まる前から、改めて母の凄さを思い知る事になりました。

事務所側から招待客指定席を用意して頂きましたが、私は目立たない端の席へ移動。母のリサイタルは毎回異常に緊張するので端から静かに聴きたいこと、それから真ん中に座っていると関係者への挨拶で落ち着けないのが理由。いや、挨拶が面倒な訳ではなく、あくまでも主役は母なんで、あまり自分が前に出たくないんです。

そして始まったリサイタル。

母が入場してきた瞬間、その雰囲気から今までにない緊張を感じました。それと同時に手足が震え始め、痺れすら感じ始めた私は「あ、そういえば俺は毎回、母のリサイタルでこんなに緊張感を味わってきたんだよなあ」と徐々にその感覚を思い出してきました。

1曲目のバッハでは母としては珍しくかなり危ない場面もあり、もはや私は自らの心臓の鼓動で演奏に集中出来ない状態。ひたすら「無事に通ってくれ」と祈るばかりでした。しかし次のブラームスは流石の内容。不覚にも涙が止まらなくなりました。やっぱり、母のブラームスは最高です。

前半のバッハとブラームスを終わってちょうど一時間経過。先月まで母はこのまま前半でウェーベルンまで弾くつもりだったのですから、今考えても変更して正解でした。

ブラームスで落ち着いたのか、後半は一気に安定しました。ベートーヴェンもまた素晴らしい内容でした。ただ、私の場合緊張で冷静ではなく、半分くらいしか聴こえていないかもしれませんが。

終演後、打ち上げのパーティーに顔を出し、一瞬だけ母と話す時間がありました。「心臓止まりそうになったでしょ」と笑いながら話す母を見て何だか一安心、終電で帰途についたのでした。

終わってみて私は物凄い安堵感に襲われていますが、母にとってリサイタルの終了はまた多忙な日々への再スタート。これからも全身全霊で音楽に向かい合っていくに違いありません。そして次回リサイタルがあるなら、私はまた客席の端で必要以上の緊張と闘う事でしょう。

とにかく今の母には、心から「お疲れさま」と言いたいと思います。

2011/09/19 07:34 | sumi | No Comments