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ブータンへのフィールドワーク、
帰国後すぐに、JunkStage第3回公演の準備、そして本番、
続けざまに、所属するゼミの合宿、
と、ハードなスケジュールが続く今年の夏休み。
まあ、夏休み、という時点で、世の社会人方からは、
「ハードとか言って、どうせ自分で蒔いた種だろ」と、
叱責を受けそうなところだが。
で、次のスケジュールはというと、
来週月曜(というか明日)から、またしても海外。
行き先は、東欧。
と言うと、チェコとかポーランドとか、
どうやらそのあたりを連想するらしく、
大概、「似合わねー」と一蹴される。
何を以て、自分がチェコとかポーランドが「似合わない」のか、
小一時間ほど問い詰めたいところだが、それはさておき。
「いや、ウクライナとかベラルーシとか」と応えると、
「あー、へー、ふーん」と、途端に曖昧な反応。
どうやら、国の名前は知っているものの、
どこにあるのか、なにがあるのか、あまりイメージが湧かないらしく、
「危なくないの?」と、大抵こうくる。
そりゃまあ、日本より危なくない国はそうそうないし、
よほど大掛かりな暴動でも起きていない限り、
その日の治安なんて、その日になって、現場に行ってみないとわからない。
そして、自分の場合、「わからない」ことは躊躇する理由にはならない。
ただ、それだけのことだ。
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さて。
危なくないのかどうかは、外務省の海外安全情報でも見てもらうとして、
「何しにいくの?」なら、もちろん答えられる。
タイトルで書いてしまっているのに、ここまで引っ張る意味もなかったのだが、
そう、一番大きな目的は、「チェルノブイリに行くこと」だ。
ただ、それが「何しにいくの?」という問いに100%答えているか、
というと、自分の中でも少し疑問がある。
というのも、自分がチェルノブイリに行ってみたところで、
それが、「何かの役に立つのか」どうかは、全くの未知数だからだ。
原子力発電所についての専門知識があるわけでもない。
放射性物質について研究しているわけでもない。
声高に原発反対を唱えているわけでもない。
その逆でも、またない。
身の丈に合った疑問設定とその能動的解決、
こそが、研究者として取るべきスタンスだとするならば、
今回の旅は、研究者としてではなく、
ただの一個人としての旅、でしかない。
誤解を恐れずに言えば、好奇心に突き動かされた旅、だ。
チェルノブイリを五感でただ感じたい。
それ以上でも、それ以下でもない。
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今年の夏は、節電の夏だった。
そう記憶されるのだろうか。
節電は、何のための節電だったのだろう。
いま、目の前にある危機を乗り切るため、だろうか。
例えば、
「夜の時間帯は電力需要がそれほど高くないから節電は無意味だ」
という人が居る。
たぶん、それは正しい解釈なのだろう。
いまを乗り切るための節電、ならそうだろう。
でもいま、
自分の頭の中をよぎっているのは、
「来るべき未来に慣れる」ための節電だったのではないか、
という思い。
ヒトが、湯水のように電気を使う時代は、
あの日を境に、唐突に終わったのではないか、
という思い。
もし、そうであるならば、
ヒトは、昼だろうが夜だろうが、電気を制限して使う、
ということに慣れなければならない。
そして、そのことが、すとんと肚に落ちてから初めて、
未来のエネルギーを何に託すべきか、という話が、
感情論ではなく、真剣に議論できるようになると思うのだ。
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実は。
気付いている人は気付いていたかもしれないが、
去る、3月10日。
そう、あの震災の1日前。
自分は、このコラムで、こんなことを書いていた。
33.チェルノブイリに悲しい雨が降る
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=173
包み隠さず、正直に言うならば、
あの震災の後だからこそ、より強く、かの地を訪れたいという思いと、
自分のような物見遊山の輩が訪れていい場所ではないのでは、という思いと。
その葛藤は、まだ、解消されてはいない。
或いは、チェルノブイリを訪れた後のほうが、
その葛藤は、より一層、強くなるのかもしれない。
その無力感は、より一層、深くなるのかもしれない。
それでも。
25年という、歳月の重みを、その深淵を、少しでも知ることが、
きっといつか意味を持つと、そう信じて、歩みを止めずに居たい。