« 「ワイヤレスマイクの危機」 | Home | ピンコロ心理 »
おいてきぼりにされた犬が、何マイルも何キロも離れた飼い主を探しに行くほど
好きな人が一緒にいることが大事なことを犬的と言って
飼い主に連れられ引っ越した猫が、住み慣れた元の住処に戻るように
環境が大切なことを猫的と言うのなら、私は犬的だと思う。
思えば高校まで暮らした故郷と呼べる土地を、別に嫌な思い出があるわけでもないのに
単にあまり懐かしいと思いおこしたこことがない。
仲良くしていた友人たちは今では皆その土地を離れ、違う土地で生活をしていて、
特にその土地について語ることも、また、行く理由もない、と
訪ねるヒトがいない土地には冷たいワケで。
11年住んだアメリカ、正確には7年暮らしたニューヨークを離れる時も
やっぱり大事と思う人がいなくなった街だったから、
それほどの未練もなく逆に日本に戻ってきて感じたのは、
それまで離れていた家族との交流や、電車に乗れば会えるその距離に、
今後何をわざわざ親しい人から離れる理由があるのだろうか、と思ったものだし、
今でもそう思っている。
なのに最近、すごくマンハッタンの街を思い出す。
最初に2年ほど住んだ123 LEINGTON AVEのアパートと、
その後に4年ほど住んだWEST 54th STのアパート。
どちらも共通点は歩いて職場まで通えて、そして本当に毎日歩いて通ったこと。
123 LEXの方は、エンパイヤステイトビルの脇を通り、
54thの方はタイムズスクエアを通り抜け、macy’sの向かい側にあるビルの職場に通う。
今更、あの土地を懐かしいと思いできれば戻りたいなんて、猫的になっちゃたのかしらと考える。
闊歩する私、すれ違うさまざまなヒトタチ。
歩いているからだろうけれど、今現在、地下鉄や電車で見るような、
そしてはっと気がつくと自分もなっている、“うつむいて”“とぼとぼ歩いている”ヒトがいない。
そうか、私が懐かしいと思うのは、あのエネルギーあふれるヒトの群れらしい。
人種のるつぼと呼ばれるニューヨークの街のヒトたちに会いに行きたいと思っているのならば
やっぱり私は犬的で、どうやら少しばかりヒトからの充電が必要ということらしい。