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2011/08/29

JunkStageの第3回公演。 
http://www.junkstage.com/110911/ 
とうとう2週間を切りました。 

いつも、これが最後になる、と思ってやっていたり、します。 
JunkStageは、よく会社組織に間違われますが、 
れっきとした趣味集団です。(いばるな) 

保障などなにもないし、 
うまくいかなくて「次」を待ってもらえるほど、原資もない。 
赤字を出せば即打ち切りだし、その「赤」は金銭の問題だけでは、ない。 

ただ今回、総合プロデューサーなんておこがましい名称のもと、
本当にやりたかったことを、やらせてもらえています。
これは、私自身がJunkStageで何をやりたかったのか、
考え直すきっかけにもなりました。 

今までのJunkの公演は、「お披露目」であり、「文化祭」でした。 
もちろんそれは根本の目的でした。 
しかし、それ以上、を期待してくれている方々(―Junkを「会社組織」ととらえる方)にとって、
つまり「会社組織」でないゆえの「それ以上」を求める方には 
「がっかりした。」という意見をもらったことも、事実でした。 

そんなJunkの公演が、今回、ひとつ、垢抜けました。 
キチっと脚本を上げ、そして演出家としての「あるべき姿」である 
数々の難題と(いい意味での)ワガママを投げかけてくるスギタクミさんは、 
Junkのライターでありながら、一定期間拘束するのが難しいほど人気の女流作家。 
そんなスギさんに引っ張られるように、 
前回までは、舞台の前日にあがった脚本を消化、昇華していた 
帯金ゆかり、イトウシンタロウという、これまたJunkライターであるところの 
女優、俳優は、初日稽古の際にすでにすべての台詞と動きが入っていたといいます。
これまでの公演との、クオリティでなく、”種類”の違いを、感じました。
かれらは、この公演を、「パフォーマンス」ではなく、ひと作品にしようとしている。

それは、「演劇人」からすれば当たり前のことで、
Junkにとってみれば、新たな試みでした。 

ゆかりは言います。 
「単独主演なんて、イトウさんも私もなかなかない!」 
対するスギさんは、そんな気合たっぷりな2人に安堵感をおぼえた、 
というブログを書いています。 

JunkStageをはじめた自分の原点に戻る感覚を、私は覚えました。 

あるべき人間が、あるべき場所へおさまること。 
それは、想像以上に難しいことです。 
世の中の理解が足りなかったり(つまりそれはプレゼンスの能力の問題ですが) 
ある才能を持ったアーティストが、「世に広く認められること」に対して、興味を持っていなかったりする。 
そういった、才能と世の中をつなぐ場所として、わたしはJunkStageをはじめました。 
公演でも、商品のようなプロダクトでもいい。 
「モノ」をつくりださなければ、そんな忸怩たる思いにひとつの選択肢を投げかけることすらできないのです。 

舞台活動の1年の中断は、JunkStageにとっては大きいものでした。 
リピートしてくれたお客様はもうほとんど、目を向けてはくれません。 
われながら、気合的にではなくほんとうに、これが最後になるだろう、と思っています。 

でも、よかった、と、おもいます。 

なぜなら、スギさんの脚本が、抜群にいい。 
スギさんが描いてくれたのは、Junkの未来でした。 
あまりにシンクロして、わたしは恐怖すら、覚えたけれど。 
そして出演者ひとりひとりに、解釈の「のりしろ」のある脚本。 

最初。 
わたしはこの脚本を読んだとき、なんだか物足りなく感じました。 
誤解をおそれず言うのならば、対象のはっきりしない靄。 
ただそれが、日数を追うごとに、色を得ていきました。 

それは、主演のふたりの動きによって。 
出演者によって読まれたせりふによって。 
この公演のために書き下ろされた楽曲によって。 
この舞台は、本は、急速に色を持っていきました。 

そこでわたしは、気づいたのです。
これが、「出演者」がともに作っていくまっさらな原稿用紙なのだと。
出演者自身が面白くなければ舞台も面白くなんてならないし、
出演者が面白ければこの舞台はどうにでも化ける。

それは、JunkStageがあるべき姿そのものでした。

作・演出・スギタクミがさんそこまで考え、「潜在能力を引き出す」能によるものなのであれば、 
わたしはもはや、戦慄しか覚えません。 

いずれにしてもこの公演は、 
JunkStageにとって、最初で最後の公演になる。 

そして、わたしがやりたかった、JunkStageというものを 
わたしは、スギさんに教えられることになるのだろう、とおもいます。 

成功を祈って――いままでならそう表現していたかもしれない。 
成功は確実でした。 
音のキッカケが合わないとか、リハーサルが不十分な出演者の不自然な舞台上の動きとか。 
舞台の成功とは、そういうものじゃないんだと。
だから、通常の舞台公演の常識が通じないにもかかわらず、
これほどまでに、スギさんには自信があるのだろうと。 
それを世界観と呼び、それをつくるのが本来の演出家の仕事なのでしょう。 

あと2週間。
過ぎてしまうのが、惜しい気すらするのです。

お席、あと27席ほど。
お待ちしております。

須藤

2011/08/29 01:51 | sp | No Comments