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2011/08/12

こんにちは。歯科医師の根本です。

先日、突然急患(新患)の方が来院されました。
「ちょっと取れてしまったので、見てほしい」

軽い気持ちでお口を拝見して    (ノ∀`) アチャー
(大きなブリッジがプラプラだぁ、これ今手を出したら、1時間コースだゎ)
(誰だよ、こんなことして放置しておく奴はぁ?あまり地元じゃ見ない形だなぁ)

思わず反則ですが、やさしく逝ってしまいました。

根「どこで作った物ですか?かかりつけの先生とかは、どうなんですか?」
患「いやぁ、もう7~8年前の話で、」  ←えっ、前の先生7~8年も放置って、どうよ??
根「でもいきなりこの状態で見てもですねぇ・・
  こういうのは、作った先生本人じゃないとなかなかきちんと対応できないんですよね~」
患「・・・」
根「・・・はい」

何でこんな歯周病の状態の口にこんなものを入れたのだろう?しかも健診もしなかった???
もちろん、前医から設計の意図などが適切に患者様に説明されていたとは思えない状況で、
かつ、私の常識の範囲では理解できない形です。

「こんなもの、入れたとたんに壊れるだろう。前の歯医者は何を考えていたんだ」
なんて、絶対に患者様には言えませんよね・・・

この症例を、少なくとも私の納得できる範囲の出来に収めるには、
最低でも安定的な支えとして4~5本のインプラントが不可欠で、
さらに徹底した歯周病治療と歯ブラシ指導、部分矯正はどうしても必要に見えます。

残念ながら保険の範囲内では一切問題の根本に到達できない形です。

さらに残念なことに、どう見てもこの方の問題意識は低すぎる様に見えます。会話内容からも
「手軽に保険でさっさと治療できるだろう、前もそうだったし、今回もそうだろう、間違いない」
と言わんばかりのオーラが全身からむんむん漂っていて、やりにくいったらありません。
もう、早く何とかしろ、といわんばかりで、他人の話にていねいに耳を傾けるとか
客観的な考えを重視するタイプとは思われません・・・

この問題の最大の責任は、まだ被害が小さい段階で、予後をプロスペクティブに予見できず、
しかも適切な患者教育ができなかったor怠った前医にあるのは言うまでもありません。

いくら本当のことでも、言わないべきだ、とされていることもあるのですが・・・
とりあえず、痛み止めを出して、何とかお引取り頂きました。


本題に入ります。
フリーアクセスの話は、おもに医療全般、医科全般の問題として考えられております。
しかし、歯科のフリーアクセスについては、医科とは根本的に異なる問題を孕んでいます。

歯科には、前に述べたとおり、医療分野(外科的処置、消炎処置、疼痛処置など)と
非医療であるリハビリテーション分野(インプラントを含む補綴、矯正)の双方があり
いずれも「歯科医療」である、ということに「されている」のはご案内の通りです。

これが、患者様(市民側)・医院側どちらにとっても非常にマズイのです。

これを「医療社会インフラ論」と「医療サービス論」ということばでまとめておきます。

「医療社会インフラ論」は私の造語ですが、医療の役割のうち、ユニバーサルサービスとしての
面を強く評価する、医療をより「社会インフラ」「公共財」と強くみなす見解のことです。

あまねく偏在や差別があってはならず、全国一律に一定の水準の医療が提供されるべきである
という見解です。

しかし、医療の質は低いのはもちろんいけませんが、逆に一部地域の質が高すぎても
差別につながるので一定でないとだめ、という動きにもつながりかねません。

これでは必然的にボトルネックが生じるので、全体の水準がそれに引きずられて低下する
という懸念も内包します。

 どうせ保険だしこの程度でいいか
 お上も2年持てばOKって言ってるし
 スマイル0点だし
 ・・・

すると全般的に、医療機関での対応が悪いとか、臨床水準が低いのではという
不満の声が生じます。


そこで、その反省から、医療も広い意味でサービスの一環であるので、顧客満足を第一に
技術や対応の向上に向けた努力を行うべきだ、という主張が出てくるのは必然です。
これを「医療サービス論」と仮に呼んでみます。
差別化を容認するので、必然的に医療社会インフラ論とは相容れない性質を持ち合わせます。

いわゆる、同じ保険なのに「名医vsヤブ医者」「当たり外れ」の問題です。
こんなこと、社会インフラでは本来あってはならない問題ですね。すでに大きな矛盾です。


そこで問題になるのが、「リハビリテーション分野の扱い」です。


歯科のリハビリテーション分野については、医療分野と異なり、とうぜん物が体内に残ります。
しかも正確に長期に(理念上は無限に)残ることを期待されています。
さらにすべて手作りのリテールであり、心臓ペースメーカーのような規格品が不可能です。

すると技量差ももちろんですが、流派の差や臨床観の差もより強く現れてくるものです。
入れ歯ひとつとっても、100人いれば100通りの入れ歯の作り方があるとさえ言われております。

このような性質のものを、平準化を旨とする医療社会インフラ論の枠組みの中で考えること自体
大きな無理があると思います。

「根本歯科で作った入れ歯が合わないので○○歯科で調整してもらったが合わない。何だ」
などは日本では意外と良くあることなのではないでしょうか。

確かに○○歯科が根本歯科より大分うまければ入れ歯は合うことが多いでしょう。
しかし、根本歯科独特の装置がついた、いわばそこでしかできない入れ歯も結構あります。
これが、安易な転院が大きなマイナスになることが多い大きな理由のひとつです。
(実際は私のところでは特殊な自家製アタッチメントなどは使用しておりません)

入れ歯に限らず、インプラントを含む補綴や矯正もまったく同じ問題を孕んでいます。
欠損やインバランスの規模が大きければ大きいほど技術差や臨床観の差が大きく影響し、
医院間の「流動性」がより大きく低下してきます。

しかも矯正治療は、毎月数千円の調整料などとは別に、
治療開始時に60万~80万円程度の大きな治療費が発生します。
転院するとまた60万~80万からですから、治療期間中の転居すら大きなリスクなのです。

もちろん当院でもインプラントや矯正治療を手がけております。
しかし、最大の前提条件は「末永くその方の面倒を見られること」です。
ですから、当然ながらまずは生活状況のインタビューから入ります。
転居が多いとか、不安定な生活状況である、という場合は非常に慎重な評価になります。

なぜなら、矯正治療でも最低10年、インプラントでは一生、少なくとも数十年は
責任を持ってフォローしますということでないと、大変無責任な話にるからです。
いわゆる大手チェーン院に多いとされる「ヤリ逃げ治療」が一切通用しない世界です。

それだけ、歯科の「リハビリテーション分野」とは重いものなのです。
つまり「自然治癒力が期待できない」ということは重いものなのです。

「リハビリテーション分野」は本質的に「平準化」とは水と油の関係で、相容れないものです。
そうなればこそ、本来は「リハビリテーション分野」はあまり自分のところで抱え込まずに
地域、たとえば役所出張所単位ごとの区割り規模程度で、公的な「補綴専門病院」でも作って
一般医はそこに紹介して、全体としての質を担保するのがかえっていいのかもしれません。

なぜなら、リハビリテーションである以上、機能と形態=個人的なQOLの向上が
非常に重要な課題でもあるからです。
これはすぐれて個人的な問題であり、基本的人権にもかかわる大事な問題です。

お上が「お前ら庶民はせいぜい『この程度の』入れ歯で我慢しろ」
などと勝手に規定したり誘導したりすることなど、人道的にできないはずです。
それは「お前らはせいぜい仮設にでも一生住んでろ」と言い放つのに等しい愚挙です。
(また国民も安易に洗脳されて、いつまでも仮設を出たがらないのではちょっと困ります)


これには、ミクロ経済学における理由の裏づけもあるのです。
それは、価格弾力性や支出弾力性の問題です。

「価格弾力性」とは、価格が1パーセント変化すると売上が何パーセント変化するか
という指標で、1以上の値が出ると弾力性が高いとされています。

「支出弾力性」とは、消費支出が1パーセント増えるとその支出が何パーセント変化するか、
という指標で、やはり1以上の値が出ると弾力性が高いとされています。

弾力性が高いということは、安くないと買わないということです。
弾力性が低いということは、高くても必要なら買うということです。
要は、弾力性が高いものはぜいたく品、低いものは必需品ということです。

総務省の発行する「家計調査年報」を参照すると、以下のことが分かります。

日本の保険診療の値段は一定ですので、国内で同じような収入帯の方々の間で
価格弾力性を比較することはできません。
しかし、各収入帯ごとに比較した支出弾力性を見ると、高収入の世帯ほど
より多く歯科医療費を消費していることが知られています。

ところが医科では歯科とことなり、世帯の収入にかかわらず医療費はほぼ同等です。
つまり、医科の価格弾力性は低いのです。

医科は弾力性が低く必需品である。
歯科は弾力性が高く必需品ではない。
個人的なQOLの向上と直結する「選択的支出」だと、本当は国民は知っています。

また、「歯医者は回数ばかりかかって困る」などという割には、「購入頻度」は
常に医科は歯科の数倍以上の数字です(総世帯100世帯当たり500:2000程度)。

これらから、公的保険ではもっと弾力性の低い(=必要性の高い)分野に
資本を集中投下すべきだというのが、当然の結論です。
弾力性の高いリハビリテーション分野にお上が介入すること自体がおかしいのです。
「お前らはせいぜい仮設にでも一生住んでろ」とか勝手に決めてはいけないのです。


しかしそれを許さないのが日本の保険制度です。


今の制度では、各歯科医院でも「リハビリテーション分野」を積極的に行わないと
点数が上がらないしくみです。
(入れ歯は赤字だが、時間短縮による回転率の上昇で何とかしのぐのが現状)

また、市民の歯を守るための公共的な歯科予防施設が制度上わが国に存在しないのです。
唯一市民に開かれたインターフェースが、現状の歯科医院だけなのです。

これではどうしても、市民の歯はどんどん削られて抜かれることになってしまいますし
歯科医院も仕事のメインが補綴あるいは不良補綴物(不良根管治療も含まれる)のやり直し
になってしまっています。

この悪循環を端的に図で表してみます。
ヒドイ図ですが、ひとたび修復すると悪化しやすくなる、というのはこういうことです。

ひとたび歯を人工物に置き換えはじめると、構造的に再修復サイクルに取り込まれてしまい
歯質がどんどん失われるのをとめることができません。

どういうことかといいますと、たとえば定期的に健診やメンテナンスに通っていると
歯や歯周組織がほとんど傷みません。
仮に非常に小さなむし歯のなりかけがあったとしても、予防や生活習慣に注意していると
臨床的に止まっていて進まない、というラッキーなことがかなりの頻度で起こります。

これを繰り返していけば、そのまま一生歯が持ってしまう、というのが究極の予防です。
それには、日々の生活の注意とともに、プロが定期的に目と手を入れる必要があります。

ところが、ひとたび削ってつめると、歯のグレードがどんどん下がり始めるのです。

つめ物のトラブルは、新しいつめ物やかぶせ物などでしか手当てできません。
つまり、同等またはより大規模の修復工事でしか維持できません。

かぶせ物(大)のトラブルをつめ物(小)で補ったりするような逆転現象は不可能です。

そうすると、かぶせ物のトラブルは、より大規模な、神経除去~土台からやり直し、
などでしか手当てできません。

その次は○年で神経除去
その次は○年で歯根破折で抜歯
その次は○年で咬合性外傷で複数抜歯
その次は○年で・・・

このあたりで気がつくことになります。
「ああ、私はお上に騙されてた。入れ歯で十分かめるという話だったのに全然違う」
「歯の治療をすればするほど、そこを中心にどんどん壊れてやり直しになってしまう」
しかしすでに時遅しなのです。

この面で一歯医者に当たられても、現状ではお答えようがありません。
なにしろ、歯医者は大学6年間かけて削る教育しか受けてきていないのですから。

ですから将来的には「削る行為」が市民の間で激減する方向に制度的に持っていかないと、
いつまでたっても日本人のお口の悲劇は報われないと私は思います。

そもそも、入れ歯・差し歯などの本質的に歯の健康を阻害する破壊的なものを
「公共財」扱いすること自体が欺瞞であり、市民にとって有害だったのです。
これらが有害である以上は、将来的には公共財からは排除して、むしろ
これらのお世話にならないためのものを代わりに導入すべきだと考えます。

【今回のまとめ】

医療を社会インフラと考えると、歯科の「リハビリテーション分野」は本質的になじまない

2011/08/12 08:52 | nemoto | No Comments