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放射線治療も半分が過ぎた2月半ば、
毎日の治療にも慣れ、普段の生活にも慣れてきた頃。
身の回りのこともひととおりでき、以前のように友人とお酒を飲みに行かれるようにもなり、
そろそろジョギングを再開しようか、という気力がわいてきていた。
それは、3月22日(日)開催の第3回東京マラソンのための練習。
エントリーは前年の2008年8月で締切っていた大会である。
つまり、抗がん剤治療の真っただ中、私はエントリーしていた。
治療がうまくいき、手術も乗越え、放射線治療が2月いっぱいで終わることを見越し、
3月にはまた走れるようになっている自分でいたい、という強い希望を胸に、
42.195Kmは無理だとしても、と、10kmの部にエントリーしていたのだった。
抽選の結果、見事私は当選した。
この当選は、第1回、第2回と、2回のフルマラソンに次ぎ、3年連続の当選。
こんなところで運を使い果たしている場合ではないのだが、これには周りも驚いていた。
きっとまた走れるようになる!
そう言われているかのようだった。
奇しくも、私がガン宣告された2008年3月17日は、
第2回東京マラソンでフルマラソンを完走した、ちょうど1か月後。
第1回、第2回の間は、のほほんと1年を過ごした私であったが、
第2回、第3回のそこには、耐えがたい試練があった。
これまでに経験したことのない、ガンとの闘い。
また走れるということが、本当に嬉しかった。
指の先がしびれたままの足を靴下に通し、シューズを履いて、私は走り始めた。
天気のよい昼下がり。息が白く見えた。
冷たい風を感じつつも、カラッと晴れた青空のもと、私はのんびり走った。
しかし、なかなか思うように体が動かない。
丸々1年も走っていないうえ、抗がん剤と手術、また放射線治療中ということで
体力は以前とは比べられないほどにまで落ちていた。
少し走っては息が上がり、フラついてしまう。
当時、駒沢公園が私のジョギング場所だったのだが、
そこまで約2キロの道のりをアップのつもりで走って行くことすらままならなかった。
それでも、がんを乗り越え、たったの1年で復帰できたんだ!!
という気持ちが、1年ぶりに走る私の背中を後押しした。
・・・次は、東京マラソン10Km~その後をお伝えします・・・