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Prologue
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多方面にメディア露出している著名人的なクリエイターとは、違う。
しかし広告業界の現代史に、横山さんの存在は不可欠だ。
横山隆治さんは、広告代理店・旭通信(現・ADK アサツー ディ・ケイ)を経て
日本初のデジタル・メディアレップであるDAC社を立ち上げ、
その後 インタラクティブエージェンシーのADKインタラクティブ社を率いた人物である。
そしてこのたび、ADKインタラクティブ(以降ADKi)を退き、また新たな道を行く。
当時(といっても今から1~2か月ほどのこと)、横山さんは「渦中の人」であった。
ADKi社からの突然にも思える退社は、ちょっとしたニュースになっていた。
退社の直後、横山さんにインタビューする機会に恵まれ
そのことを尋ねると、穏やかな笑顔でこう言った。
「好きな仕事をいつか、オーナーシップでやりたいとは、ずっと思っていたんですよ。」
好きな仕事、という「個」が強調される言葉にちょっとした違和感を覚えたのは、
長年「立ち上げ」、「指導し」、「道を作る」側であるところの横山さん、という印象が
私の中にもあったためだろう。
「好きな仕事」の中身を聞くと、「adと、デジタル」という両輪を挙げた。
「好きだし、それが僕のスキル。軸のないところにスキルは生まれないでしょう。
真ん中に、何を据えるのか。何でもできます、は、何も出来ないと言っているのと同じ。
スキルや、そこにドメインがない人間ほど、最近は、やれアジアだ海外だと言ったりするしね。」
自身が、未来も含めて極めていく領域を考えた時、自然と分野は収斂されていった。
そんな横山さんの新しい船出を祝う会が、先月開催され、
会場にお酒も回った終盤、ある方がスピーチでこんなことを言っていた。
「横山さんは、こんな年になっても、まだ新しいことをはじめる。
横山さんは、こんな年になって、まだこんなに戦っている。」
戦っている。おそらく、そうなのだろう。
加えて、今回のインタビューを終えたあと、「betしている」業界人生だと、私は感じた。
それはもちろん、ダーツの放投のような運任せの賭け事ではなく、
広告やメディア業界の未来という、やたら重いモノを賭けた選択の連続だったのではないか。
信じた道を進まなければ、そこに道は拓かれず
つまりリスクと障害なきところに道は生まれない、とも言い換えられるのかもしれなかった。
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Scene2;広告人・横山隆治氏の場合
今も続く大学時代の交友、そして『巨人の星』をきっかけに旭通信社へ。(8月10日公開)