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先週の続き
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=242
SNSのユーザー離れを、「疲れ」ではない観点から掘り下げてみよう、
というのが本稿の主旨だ。
「疲れ」論は、言わばヘビーユーザーサイドに立った論であって、
大多数を占めるライトユーザーにはピンと来ないのではないか、
という疑問が、まず湧いてきた。
一説には、新規登録したユーザーのうち、
6割が1ヵ月以内に放置状態になってしまう、なんて話も。
この数字の精度はさておき、現実的には、ハマる層よりも、
全くハマらない層、適度な距離で付き合ってる層、のほうが、
割合としてはかなり多い、というのは想像に難くない。
そんなライト層のSNS離れは、どういう構造で進んでいくのか。
2つのキーワード、「空き」と「飽き」から紐解いていきたい。
ただし、あくまでも私感であって、
調査に基づくアカデミックな解釈ではないので、あしからず。
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まずは、「空き」の構造。
mixiしかり、Facebookしかり、あるいは、twitterもしかり。
SNSは、ある程度使い方に慣れてくると、
家のPCの前にどっしりと腰を据えて取り組む、
という類のモノではなくなっていく。
通勤、通学の電車の中など、ちょっとした合間を利用して、
ニュースを読む感覚で、他の人の書き込みをチェックしたり、
日記(ツイート)のためのネタになるかな、なんて考えてみたり。
コネクトすることを楽しむというよりは、
「空き」時間の有効活用、つまりは暇つぶしのために、
自他ともに垂れ流す書き込み(=コンテンツ)を消費し合う、
という互恵関係がそこに生じてくる。
この関係は、 “双方が同程度ひまな場合” にのみ成立し得る。
もちろん、SNSは1対1関係ではないので、
一人一人と対等関係である必要は無いが、それでも、
とあるコミュニティの中で、誰か一人だけがひたすら喋り続ける、
という状況下においては、互恵関係が維持できない。
また、当然のことながら、忙しいとき=「空き」が少ないときは、
コンテンツの量そのものが減るので、やはり関係は崩壊し易い。
そして、一度、関係が悪化(といっても、実際の人間関係が悪化
しているわけではない)しはじめると、ドミノが倒れるように、
連鎖的にバタバタと書き込みが途絶えていく。
俗に、社会人になるとあっという間にmixi人口が減っていくのは、
こうした構造が裏で働いているからだと考えられる。
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もうひとつ、「飽き」の構造。
身も蓋も無い言い方をすれば、
実際、ただ単純に、なんとなく「飽き」た、という層が大半なのでは、
という話だ。
ヒトは3年も同じことをしていれば、大概のことには飽きる。
同じ人の日記を3年も読み続けていれば、
そこにあるのは類似体験の蓄積でしかなく、面白みは薄れていく、
と、そこまで言ってしまっては言い過ぎか。
SNSは、通常のコンテンツと違って、
人間関係そのものを売りにしているため、
人間関係に飽きる、なんてことは無い、
という反論を受けそうなところだが、
個人的には、上で述べたように、SNSが提供しているのは、
疑似人間関係でも、ネット上のリアルな人間関係でもなく、
書き込み(=コンテンツ)を掲示する場、でしかないと考えている。
「mixi疲れ」が囁かれはじめた2006年以降、
「mixiアプリ」「mixiボイス」「mixiチェック」などなど、
サービスを増やすことで「飽き」が来ないように仕向けたが、
結果的に、アプリをやる人であればアプリをやる人とだけ、
コンテンツを共有するなど、互恵関係の分散化を招き、
その面白さが目減りしてしまった、ように思われてならない。
このあたりの構造は、
世に言う「ゲーム離れ」の構造と良く似ている。
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さて、SNSの継続運用というのはなかなかに難しい、
という、こんなご時世に、わざわざ新規参入を試みてきた、
天下のGoogle先生について、最後に少しだけ触れておこう。
先月からテスト版が動き始めている、「Google+」がそれだ。
ぶっちゃけてしまえば、
いまのところ、中に入れる人間が絶対的に少ないので、
全く面白くはない。
世間では、Google+はFacebookに勝てるのか!?
みたいな論調が主のようだが、
タイミング的には、勝手にFacebookが下がってくるだろうから、
その後釜に納まるためにはいまぐらいにサービス開始しとけば、
もろもろ丁度いいかな、というふうな思惑を感じずにはいられない。
どうせ、インターフェイスやら何やら、
細かいところで、手を変え品を変えてみたところで、
それが、決定的な差別化に繋がるとは到底思えない。
乗っかってくるコンテンツを作るヒトは、同じ「友達」なのだから。