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ここのところ、東京事変『新しい文明開化』ばかり聴いている。
今年度の東京メトロのCM曲にもなっているアレだ。
そんなこと言うても、ウチ、関西在住やし。
と、厳しいツッコミを入れてくる方もいるやもしれぬ。
そんなあなたのために、一応、リンクを貼っておこう。
もちろん、関西人でなくてもアクセスできる。
http://www.tokyo-wonderground.jp/cm/
東京メトロのシリーズCMとしては、
一昨年、宮崎あおいが、昨年、新垣結衣がそれぞれ出演していた、
「Tokyo Heart」シリーズが割と好きだったのだが、
女優趣味がバレるだけなので、それはさておき。
このタイトル、『新しい文明開化』という単語が、
初めて耳にしたときから、どうにも頭から離れない。
そして、ふと、気付いた。
それってば、まさに、ブータンのことじゃなかろうか、と。
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と、若干、無理矢理ブータンの話題にすり替えた感は否めないが、
どういうことか、少しだけ解説しよう。
ブータンは、ごく最近、ほんの半世紀前まで、鎖国状態にあった。
そう、日本が江戸時代、鎖国していたのと、ちょうど同じように。
もっとも、ブータンに関しては、自ら鎖国の道を選んだというより、
結果的に鎖国状態になった、という捉え方が正しいようだが。
何はともあれ、それまでのブータンといえば、
産業革命以後、世界中で発達、普及した機械文明の恩恵を
一切受けることなく、ほとんど中世そのままの生活を送っていた。
田畑を耕し、牛やヤクを飼い、
日の出とともに目覚め、夜の帳とともに眠る。
そこまで言うと、やや大袈裟か。
日本では、鎖国を解き、明治の時代になり、社会は大きく変貌した。
そのキーワードとなるのが、「文明開化」という言葉になろう。
武士の世の中への決別を示す、断髪令、廃刀令。
それまでの価値観を否定し、西洋化=近代化という信念の下、
政治、教育、服装から食事に至るまで、徹底的に西洋にかぶれた。
さて、一方、国を開いたブータンはといえば、
やはり、目指すべき道は、近代化、であった。
車が走る道路すらなかったブータンにおいて、
近代化は、すなわち、道路整備からはじまった。
ただし、日本の「文明開化」と、それは180度違うものだった。
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ブータンにとって、近代化とは、
あくまでも、国民生活を豊かにするものであって、
しかも、それが長く子孫の代まで続くことが前提条件だった。
一番遅く近代化をスタートさせたブータンは、
つまり、一番多くの近代化の成功や失敗を糧にすることができた。
西洋を中心に推し進められてきた、富の集積だけを目指す社会は、
結果的に、環境破壊その他の、多くの問題を抱えてしまった。
その意味で、近代化=西洋化、という図式は成り立たない。
むしろ、西洋を反面教師とし、伝統的な価値観を肯定する、
そんな逆転の発想から、ブータンの開発は進められてきた。
例えば、ブータンでは伝統的な文化を守るための、
国民の義務、に相当するものが数多くある。
服装規定は、公的な場(職場、学校など)における
伝統衣装の着用義務を定めている。
全くもって、武士の服装を根本から否定した日本とは、
真逆の対応、ということになる。
ただし、ブータンは、昔を是とし、昔のままでありたい、
と考えているわけではない。
昔は昔、今は今の良いところを上手に吸収しつつ、
長く栄える道を模索している、とでも言えばいいだろうか。
ああ、そうだ。
これはまさに「新しい文明開化」と呼ぶべきモノだ、と。
ある瞬間、ふと閃いた。
国際社会に船出するに際して、
日本は、西洋に追いつくことで自身の存在を認めさせようとし、
ブータンは、あえて西洋に背を向けることで存在感を示そうとした。
対応としては真逆なのだが、
目指していた方向は実は同じではなかったのか、と。
別に、だからどう、ということは全く無いのだが。
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ここからは余談。
このブータン式「新しい文明開化」が、昨今、
日本を含めた諸外国でもてはやされることもしばしばあるようだ。
日本式「文明開化」ですら、ほんのつい最近まで、
世界第二位の経済大国を生んだ礎として、高く評価されていた、
ように自分には思われてならない。
ならば、ブータン式もまた、
100年後の世の中の評価に耐え得る、なんて誰が言えるだろう。
もちろん、100年先の評価を恐れていては、
誰も何も、足を踏み出すことなんてできはしないのだけど。