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2011/06/29

こんにちは。歯科医師の根本です。

私は、歯は治療できない、リハビリテーションだ、と前回まで言ってきました。
また、現場で見ておりますと、つい保険制度下で油断して歯を粗末にして
「安物買いの銭失い」になってしまう例が多いことも懸念しております。
(これは保険外の高い義歯を入れろ、という意味では全くありません)

「そんな、歯医者は医者の一種だと思っていた」
「歯科は医療の一部ではないのか」

という声もまだまだ大きいのでは、とは思いますが。

実際、西洋医学的に厳密に分けると、歯科が外科でも内科でもなく
該当する診療科がない、ということなのですが、その昔は当然おおまかでした。

そこで、若干医科のほうにも重なりますが、現在の保険制度に到達するまでの歴史を
少しおさらいしてみたいと思います。


まず、縄文時代ですが、現代人よりも顎の骨格がしっかりしていることが
知られています。また、遺骨の残存歯数も数多く、しっかり歯が残っています。

「ああ、どうも現代人は退化したようだ、なんと情けないことか」
と思わないで下さい。縄文時代の人の平均寿命は、なんと驚くなかれ

 1 8 歳

なのです。これではむし歯や歯周病になる前に死んでしまいます。
その後、鎌倉室町あたりが30代、それからずっと明治時代~戦前あたりまで、
平均寿命は40前後を行ったり来たりなのです。

40で死んでしまうのでは、やはりほとんどの人が、多少歯を傷めるでしょうが
歯を全部失ったりする前に寿命ということにになるでしょう。
現代医学の発展がいかに人間の寿命を強引ともいえるまでに伸ばしているかが
分かるというものです。
(てゆうか、コレ無かったら俺なんてとっくに●んでるはず)

つまりこれから推察されることは、人間の生物としての自然な寿命は

◆ 現代医学なし、社会文明なしでは 18歳
◆ 現代医学なし、社会文明ありでは 40歳
◆ 現代医学あり、社会文明ありでは 80歳

ということです(本当かどうかは分かりません)。
寿命40なら、歯の寿命は・・・う~ん、微妙かも

その昔、信長は桶狭間の前に「人間五十年~♪」と、熱盛り敦盛を舞いました。
子供心に私は、「昔の人生はなんて短いんだろう」と思いました。
じつはあれでも、結構長めにサバを読んでいたのですねw

また、医療については誤解が多いのですが、日本では有史以来明治維新まで、
医療は原則的に身分の卑しいもの「賤民/被差別民/穢多・非人等」が行う仕事でした。
(身分の高い人向けの医師や小石川養生所などのまれな例外はあります)
これは、有史以来「死・産・血」にかかわることは穢れである、というのが、
日本の歴史と伝統の大前提であるからです。とうぜん医師も例外ではありません。

詳しいことは沖浦和光先生の講演録(PDF:49/138ページ~)をごらんください。
内容は今で言う漢方のようなものや、民間療法、加持祈祷、気や超能力?!などが主でした。
歯科ももちろん、そのようなアウトサイダーズの方々がメインに担っていました。

当然、今のような歯の治療など昔にはありませんでした。抜歯と入れ歯だけです。
抜歯は大道芸人や香具師、藤内(とうない:薬売りの行商)などが行っていました。
入れ歯は総入れ歯しかありませんでしたが、仏師崩れのような人が木の入れ歯
(木床義歯)を作ることもあり、かなり精巧な出来なので富裕層に好評でした。
もちろん芸人さんや藤内さんなど全員、そのようなアウトサイダーズの方々です。

ところが明治時代に西洋医学が導入されると、今までおとなしかった医師が
突然いばり始め、治療費を吊り上げはじめます。
それまでのアウトサイダーズの方々のような懐の深さは影を潜め、
「貧乏人は帰れ」などと追い返すようになりました。

そこで怒ったのが明治政府です。「『医者のクセに』生意気な!!」
明治7年に医師取締法「医制」が公布されました。
貧乏人を追い返すことを禁止し、禁固刑まであったそうです。
これが今、憲法違反ではないかなどと問題になることもある「応召義務」の走りです。
戦後、このような前近代的なことは廃止しよう、という議論がありましたが
「公益性(=医者どもをのさばらせるな)」の観点から、努力義務規定の形で残り、
通達等や民事訴訟では有効なまま現在に至ります。

ですから日本人は医師の応召義務は当然だ、ノブレスオブリージュの一種だと
誤解して
いて、外国でもそうだ、と考えている方が多いのですが、もともとが
「医制」という規制に端を発するものであり、わが国固有の制度・慣習です。
もちろん契約社会の欧米では医師と患者は対等ですので、応召義務はありません。

しかし患者サイドも無い袖は触れません。
そこで政府は明治44年に恩賜財団済生会を設立して、医療を広く行き渡らせようと
しました。また同じ頃、鈴木梅四郎らによる「軽費医療運動」という運動が
草の根で起こりました。
こちらの方は、どうも開業医の守旧派に足を引っ張られてうまくいかなかった
ようですが、時代の流れで大正時代になると、日本を支える労働者階級のための
健康保険制度
が生まれるきっかけにもなっていきます。

こうして西洋医学はぜいたく品から、社会インフラへと様変わりを見せるのでした。

このころの歯科も、正直、今から見れば江戸時代とさして変わらないレベルでした。
新しいことといえば、部分入れ歯ができたことと、むし歯につめ物をするようになった位です。
当時はまだ戦前~戦中、歯科には保険はありませんでしたから、むし歯のつめ物は金箔でした。
私の祖父は開業歯科医でしたが、隣町まで金箔を買いに行くのが、幼い頃の父の役目でした。


当時は患者数も1日10人前後、歯科医師の仕事のメインは、夜に入れ歯を作成することです。
昼間は抜歯したり型を取ったりするのですが、それはいわゆる「前準備」です。
また歯科自体がぜいたく品でしたから、そのような家内工業で十分採算が取れました。
また、むし歯に詰める金箔ももちろん高価です。

戦後は、経済成長や医学の発展のおかげもあり、平均寿命はどんどん伸びていきました。
そうすると、体のほうは医学の発展や健康に注意すると治癒力や生命力が上がるのですが
歯のほうは残念ながら、治癒力や生命力があがりません。
寿命の延長とともに、必然的にむし歯や歯周病で困る人が増加することになります。

「歯を『何とか』してくれ」という社会的需要も大きかったことは容易に推察されます。
・・・


この『何とか』の部分を、現在の私たちはどう捉えるべきでしょうか?

ここまで、古代から、皆保険達成の昭和33年までの歯科と医療を駆け足で眺めてきました。

私もいろいろ調べてみて、ひとつ個人的に気になることがあります。

それは、どうも日本では歴史的に医療は軽視されてきたのではないか、ということです。
確かに、外国でも歴史的に別の業種の職人などが医療を行っていた例は多いのですが
日本の場合は、医療そのものが歴史的な賤民思想、はっきり言ってしまえば今で言う
差別、人権問題的な問題をながく引きずってきたという懸念を少なからず抱くのです。

もちろん現在の医師・歯科医師がそのような問題を引きずっているかというと
そうではありません。

しかし、今もゆがんだ形で応召義務や保険制度に残る問題を考えてみると、どうしても
時の行政が医療者の増長を抑えたりコントロールしたがってきた経緯を強く感じます。

また国民一般が、医療や病を他人事のように考えたくなる気持ちも分かります。
なんといっても「死・産・血=穢れ」であることや、前回コラム「民は之~」
で書いた無責任主義<家康説>のこともあり、なるべく病や医療については、
とりあえず保険料も払っているし医者は道具だから使い倒しておけばよい、
いちいち医療問題を考えるのも面倒くさい、などと思いたいのもよく理解できます。

ただ、このような発想は、今の国民一人一人が勝手に考えたりマスコミが報道して
そうなったというより、すでに歴史的な「国民性の一部」として根付いているのでは
ないかとも思われます。
とはいえ、とくに歯は、治療できない/再生不能リハビリテーションしかできない
という特性もありますので、とても他人任せで安穏とできるものではありません。

何より、市民各位による公平確実な情報収集・把握は民主主義の大前提です。
マスゴミ等の宣伝に踊らされて満足しているようでは衆愚主義の謗りを免れません。

【今回のまとめ】

個人的な考えだが、日本人は歴史的に、医療面を他人事として軽視してきたのかもしれない。

2011/06/29 05:33 | nemoto | No Comments