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うつくしいひと、という言葉を聞いて反射的に思い出すのは、見知らぬ一人の女性の横顔である。首筋で切りそろえられた癖のない髪、やわらかな輪郭。空想の中で、その女性はいつも俯いて本を読んでいる。本は新刊書ではなく、ずっと昔に出版された装丁のきれいなハードカバーだ。本を選ぶとき、洋書だったら翻訳家で選ぶんです、と以前聞いたことがある。アリス・マンローやジュンパ・ラヒリが似合いそうだなと思った。
会ったこともないのに美しいと思うのは変かもしれないが、僕にとって、彼女はそういう人だった。
彼女とはメールでしか話したことがない。
僕のところで開発した商品のサイドストーリーを書く、という仕事を受けてもらったのがきっかけである。いっとき付加価値としてそういう手法がはやっていて、紅茶の世界観を若い女性にうまく訴求するにふさわしいライターを探していたときに、僕の部下が見つけてきたのが彼女だった。プロの小説家じゃないですけど、でもすごくいい感じなんですよ。小説家を目指していたという部下は滅多なことではライターの類を褒めなかったが、彼女については手放しという感じでその作風が今回の商品にとてもあっていることを強調した。
そんな風にして、僕たちはメールを交わし始めるようになった。
ビジネスだから、あまり私情は挟まない。商品を送り、コンセプトを書いたメールを送った翌週に、彼女からサンプルが上がってきた。確かにターゲットとしている女性に受けそうな柔らかい文章だった。いくつか追加してほしい内容やエピソードの注文にも、彼女はひどく快く対応してくれた。それらの回答に付随するメールの言葉はどれもとても丁寧で女性らしく、小説を書くだけあって選び抜かれたような言葉がちりばめられていた。
言葉に恋する、というのはちょっと変かもしれないけれど、僕は確かに彼女のメールが好きだった。文面から伺えるのは慎重で優雅でおっとりした一人の女性の姿だった。挨拶文のひとつひとつに、義理だけでないやわらかさがあった。
僕は彼女に恋をした。
同時並行で進めていた案件で彼女と仕事をしたメンバーからいろいろの話も聞いた。実はシングルマザーらしいとか、群馬に住んでいて東京には用事があるときしか出てこないとか。会おうと思えば会える距離ではあるけれど、僕は今のところそれをするつもりはない。彼女を起用した商品プロモーションはそれなりに成功したし、次の仕事も、と思うけれど、しばらくはメールだけでも十分だと思う。彼女はその打診にも控え目な嬉しさと大きな感謝を伝えてくれた。
空想の中で俯いて本を読む文学少女との「文通」の楽しみは、しばらく続きそうである。
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花言葉:聡明
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。