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2011/06/13

先週はだれにでも平等に7日間さずかっていると言われている1週間といわれるもののうち1日半しか働いておらず、あそびほうけて、もとい、自分を磨く行動をしていた。さぞかし職場の皆さんは怒っていることだろう。

つい先日の土曜日は東京で恒例の中村元さんの超水族館ナイトに行ってきて、翌日の朝一番の新幹線で帰って12日は昼から出勤で竹島水族館55周年記念大お菓子投げ大会をした。その他、今日は職員会議があって、その周辺の喜び悲しみ事項も書きたい。書く事だらけなのだ。

ま、この辺のことはもう少し経ってから書くね。しかし、市の広報誌の原稿も締め切りが過ぎていて、こちらはどーゆーわけかいつまで経っても書けぬ。。。グルジイヨォ~。。。

先週の頭から、「琉球産ハブ類における毒成分の分析とその利用およびマングースへの応用」という卒論研究テーマで沖縄へ行っていた(あ、信じちゃいけないよ、ただ遊びに行っただけ)

3泊4日、飛行機・レンタカー・ホテル代(朝食付き)込みで2万5千円であった。

バカ安くて、もしかしたら、床に穴があいていて下が見えてしまうようなオンボロセスナ機で飛ぶ前にパイロットが十字を切って飛んだり、フィリピン経由機内泊だったり、レンタカーはリアカーではないか、とか、ホテルは橋の下とかにあるダンボールでできた部屋ではないか、とか不安だったけど、大丈夫そうだったので、もう5千円足して、出発は朝一番の飛行機、帰りは最終便に変更して、まるっと4日間沖縄を満喫した。

スカイマークという最近の飛行機らしくて、安心快適ナヤミムヨーをお約束する飛行だった。スバラシイ。CAのお姉ちゃんもキレイだった。

日本人に生まれたからには、沖縄と北海道と富士山の山頂には行っておかねばならんと常々考えていたけど、まだ沖縄しか達成されていない。

ビッツに乗って「美ら海水族館」へ真っ先に行った。はいさ~い!!と、ジンベエザメが3つも走り回って笑顔で迎えてくれたので、こちらも笑顔でめんそーれ。と言ったが、個人的には想像したよりも案外小さな水槽でもっと大きな水槽かと思った(1.5倍くらい)。即座にオレはこのデカ水槽の欠点を発見してしまって、悔しいからずっと美ら海水族館内で欠点をわめいていたのだが、今は教えてあげない。いまさら遅いが、あの水槽をもっと活かすことはワタクシにはできた。もう水槽は出来上がっているので遅いけど。

それに美ら海水族館よりも優れていることは我が水族館にも無数にあった。

ただ悔しかっただけだろうに、あの水槽は水量7500トンだぞ、キサマの水族館の全ての水槽の水量はどれくらいだと思っているんだ、たしか100トンくらいじゃなかったか?負け惜しみばかりホザいておるじゃないぞ、ですか、

はい。

その後、国際通りで琉球料理を完全制覇して満腹死にしたり、ハイサイオジサンを踊って笑い死にしたり、いくつかの有名な橋を渡って綺麗な海を見て感動死したり、万座毛やいくつかの岬をハシゴして絶叫死にしたり、洞窟探検ツアーに参加して圧巻死したり、斉場御嶽で神聖死にしたり、海が一望できる高台のカフェで再度満腹悶絶死したり、女性器の名の付いた公園でランニングをしていたオッサンに記念写真を撮ってもらいハズカシ死にしたり、グラスボートや海中展望台からいつも水族館で見ている魚たちを天然の状態でみてコーフン死にしたり、首里城で琉球の歴史の勉強をしたくなくて死んだフリしたり、とにかく大満足大満喫をして一時的に死んだり生き返ったりを繰り返して忙しかった。

ちょうど沖縄に着いたら梅雨明けして4日間天気も良くて、総合的に見て満足死できた。

具志堅やキロロといった沖縄の有名人には会えなかった。ビギンにも会えなかった。ジャガー渡久地くらいには会えるだろうと思っていたが、そもそも、ジャガー渡久地をよく知らない。したがって当然、われらが安室なみえちゃんにも会えなかった。会えたのはオヤビッチャ(魚)とオカヤドカリだけだった。両サイドさとうびき畑の細い道路で轢かれ死にしているハブには出会った。

タイミング悪く「花」や「ハイサイおじさん」を歌っている有名な喜納昌吉さんにも会えなかった。ただしそのお姉さんには会ったし、一緒に歌った。

料理はブタの耳からヤギ汁まで一通り何でもモリモリ食ってどれも美味しかった。驚異的に海が見渡せるカフェのくるくまというところで食ったランチは、全日本今までに食ったランチ勝手に選手権というものがあるとしたら(勝手にだから勝手にやればいいのだが)、上位必至の悶絶的うまさだった。

満足死のまま、東京の水族館ナイトへと向かったのだった。

次回へ続く。。。

2011/06/13 11:22 | kobayashi | No Comments