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自作のロケットで宇宙飛行を目指す中年農場主チャーリー・ファーマー。
荒唐無稽ともいえるこの設定にも、
宇宙服姿のチャーリーが砂丘を馬で行くシュールな冒頭に思わず引き込まれてしまう。
監督のポーリッシュ兄弟は個人でロケットを打ち上げることと、
インディペンデントで映画製作をする自分たちを重ね合わせて作ったというが、
なるほど一から自分でやり遂げることにこだわってゆずらないチャーリーと兄弟の顔がダブる。
このチャーリーのモデルは、成功には大きなリスクを伴うことを教えた彼らの父親とのこと。
その意味では、チャーリーはポーリッシュ・ファミリーの遺伝子から創られたクローンであり、
父から息子へと受け継がれたメッセージをチャーリーが託されたことになる。
ただ、この映画が単なる私小説的な願望の投影で終わってしまうか、
万人の共感を呼び起こすことができるかは、
運命に対する反逆者としてのチャーリーと障害とのぶつかり合いの中で
観客を作品に引きずりこんでいく牽引力をいかに生み出せるかにかかっている。
ポーリッシュ兄弟はチャーリーのポジションを、
かつて宇宙飛行士の訓練も受けて専門知識も豊富な中年男のリベンジという
現代風な反逆者に据えた。
この一度挫折した中年が復活を誓うという物語が、
敗者復活の困難な現代で挫折し鬱屈を抱えるわれわれの共感を呼ぶ大きな要素となっている。
格差がじわじわと根付く現代において、
チャーリーはまさに代理戦争の仕掛け人そのものである。
中高年のリベンジは気力、体力の衰えもあり若者よりもずっと困難さを伴う。
ロケット打ち上げは非日常の極に位置する夢であり、
ごく日常的でささやかな夢と比べるとリスクと立ちふさがる壁の高さはエベレスト級だ。
この困難な設定どうしを融合すると不思議な化学反応が生じてモチーフが何倍にも膨れ上がるのだ。
チャーリーを通して兄弟の放つ熱せられたモチーフが燃料となり、
われわれはいつしか兄弟の仕掛けた宇宙空間へと放り出されている。
この「ロケット」は上映後もますます勢いを増してわれわれの脳裏を飛び続けることだろう。