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給湯室に入っていった瞬間、ざわめきが収まった。いつものことだ。そそくさと目礼して狭い入り口を同僚たちが通り抜けていく。押し殺したような笑い声が、今度は廊下から聞こえた。
こんな状態になって、もうすぐ1か月になる。
……いじめ、と言えばいじめなのかもしれない。けれど、私はこの生活にも慣れつつあった。
入社当初から最近までは、さほどでもなかった。飲み会に誘われる程度には仲が良かったし、ランチだってなんとなく一緒に食べるグループはあった。今も仕事上は特別問題があるわけではない。挨拶をすればお義理程度の返礼も来るし、社内メールが無視されたり重要連絡の回覧を飛ばされるということもない。けれど、なぜかみんな先約があったり、休憩の時間が重ならなかったりして、ランチを一緒に摂る相手がいなくなった。雑談をすることがなくなった。誰かのお祝い会のカンパを求められることも、出欠を尋ねられることもない。懇親会の誘いも、休日のサークル活動も、一切声が掛からなくなった。それが本来の職場の姿なのかもしれないが。
どうしてこんな風になったのか、考えてもみたりした。プロジェクトの進め方が悪かったんだろうか、誰かの悪口にうなずいたことがあったか、忙しいときに有休を使ってしまっていたのか。はっきり原因と呼べる出来事がどれなのかもわからないまま、気が付けば私は孤立していた。そして、なお悪いことに、それがあまり苦痛でもないのだった。
「うわっ。それって分かりやすくパワハラじゃん。かわいそー」
久しぶりに会った友人にその話をしてみたが、友人の反応もこんなものだった。パワハラ、と言う言葉と自分の置かれた状況はなんだか違うような気がしたが、黙っていた。こうしていると会社での出来事が夢の中のことのように思えてくる。今日もそこで働き、明日もまた同じように出勤していくというのに、この疎外感のなさはなんなんだろう。
「でも、仕事に支障があるとかじゃないの。だからなんか、どうでもいいかなって」
「そりゃあ、相手だって子供じゃないから」
銚子から慣れた手つきで猪口に酒を注ぎきりながら、
「あんたのそういうとこが気に入らないんじゃないの」
カウンターに向かって追加を注文し、友人は真顔になった。そうかな。そうだよ。眼だけで会話し、互いに一瞬黙り込んで、小さな猪口を口に運んだ。黙々と酒を飲み、からすみを半分に割って食べた。ちょうど良い塩気が口の中でねっとりと崩れて美味しい。友人はなにか言いたげにこちらを見ていたが、見る見る間に減っていくからすみに焦ったのか、急に箸を動かした。
「ほんと、こういうところマイペースだよね」
「性格だからね。半分は残してあるでしょ、ちゃんと」
「私も相当なもんだけど、こんなんじゃ職場で浮いちゃうよ?」
あ、もう浮いてるんだっけ。独り言のように続けて、友人もからすみを口に運んだ。
「おいしいねこれ」
「高いけどね、やっぱりお酒に合うのよね」
つまるところ、悩むほどのことでもないのだ、私にとっては。味気ない職場でも、働ける限りは働くつもりである。酒と肴と飲みに付き合ってくれる友人がいる限り、孤独ではないのだから。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。