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2016/02/08

m309

街中が甘ったるい香りに包まれるこの時期、デパートや商業施設がこぞって推し進めるバレンタインデー。それは僕の勤め先の店でも変わりない。普段はチーズや紅茶、ちょっとした菓子を扱っていて、どちらかといえば敷居の高い、地味な店構えの店だ。そこが気に入って応募したのに、この時期は普段よりだいぶくだけた雰囲気になる。パートさんと一緒にピンクのモールで飾り付けしたフロントはいつもよりぐっと若返って、なんだか僕の居場所が失われたような気になった。

もちろん、仕事は仕事だ。でも、自分には縁のないこのイベントを楽しんでいるひとがいるという事実が僕を卑屈にしてしまう。普段は入りにくいと思っていたのか、普段着の主婦や高校生くらいの子たちが気軽に寄ってくるのもなんとなく忌々しい。声を掛けられれば笑顔でセールストークをするけれど、常連さんが来ればさりげなくそちらを優先してしまう自分は、やっぱりこのイベントが嫌いなんだろうと思った。

……などと思いながら、僕は欠品を補充し店の中を見渡した。相変わらずバレンタイン仕様になっているけれども、今日は割と暇である。週末にイベント当日を控えているせいか、先の土日は文字通りてんてこまいだった。昨日書きそびれた伝票の整理などをしながら、愛着のある店先をぐるりと見渡した。

「あのう」

一瞬ぎょっとして、声のしたほうを見る。誰もいない。疲れているせいか。ふう、と深呼吸すると、また、あのう、とか細い声がした。今度は妄想ではなかった。カウンターから死角になる高さに、ランドセルを背負った女の子が立っていた。

「いらっしゃいませ。おうちの人にお使いを頼まれたかな?」

女の子は恥かしいのか、両手でしっかりスカートの裾を握ってもじもじしている。どこかで見たことがある顔だと気づき、ある常連さんの子だと思いだした。いつも割れそうに薄い高級クッキーを買っていく女性で、いかにもマダムという感じなのに、その子どもは何かひどく寄る辺ない風情だった。

「パパに、……バレンタインのプレゼントを、買いたいの」

ようやく、と言った感じで女の子はしわくちゃになった千円札を二枚、ランドセルから出してみせる。それから、きりっと真剣な眼になって、一言ひとことはっきりと発音した。

「お年玉なの。これで買えるの、ありますか」

なるほど。僕は商品棚を眺め渡して、二千円でおつりがくるものを考える。

「パパはお酒を飲む人? それとも、甘いものが好きな人?」
「お酒も飲むし甘いものも好きだよ。でも、バレンタインだから、チョコがいいの」

じゃあ、と僕が進めたのはボンボン3粒のセットだった。予算から一円玉でお釣りが数枚というところだが、品物は悪くない。子どもが選ぶには大人びているかもしれないが、ここで買うことを選択した彼女の気持ちを尊重したいと思った。確認を取ると、彼女は案の上、嬉しそうに微笑んだ。
綺麗にリボンを掛けて渡してやると、女の子は丁寧にそれをランドセルに収めて帰った。
こういうのっていいなあ。娘がパパに……なんて、僕には夢のまた夢だ。僕はまた伝票の整理に戻った。
でも、どこかほんのりと温かい気持ちが残っていた。

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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2016/02/08 08:02 | momou | No Comments