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よく、「なぜ仏師になろうと思ったの?」と質問されることが多いので、改めてここで詳しくお話ししていきたいと思います。
私の父は油絵を趣味としています。
幼少の頃から父に山や海に行く度にスケッチブックを持って姉と一緒に絵を描くことが日常でした。
西洋美術館には3才の頃から連れられ、ピカソやルノワール、モネなど多くの西洋絵画を観てきました。(近くには上野動物園があるのに)
仏師の道を目指す最初のきっかけは父が好きな絵画が大きく影響しています。ちなみに姉も日本画をやっています。
子供の頃自分にとって日本通のモネはとても親しみやすかった印象派の絵です。
ルノワールの光の表現に吸い込まれた事を印象に残っています。
15才の時にピカソが描いた絵と知ったとき衝撃を受けて、凡人な自分に気づかせられた絵です。
このピカソの絵は子供ながら寂しさを感じ、少し怖さも感じました。
中学生時代、美術の先生だった伊藤先生は現代アートがとても好きな方でご自身で八ヶ岳に清里美術館を作ってしまう方でした。
美術に対する概念を全く違う角度から考え、見せてくれた先生です。
中学生に対する授業とは思えない程の内容でした。
私は、先生が教えてくれる授業にのめり込んでしまい選択科目の時は美術を専攻しました。そのときから木や石で彫刻をしたのを覚えています。
作者の考えや伝えたいたい事を読み取り、感じることが現代アートの面白いところだと思います。
このきっかけで美術に対する幅が広がり子供ながら大ききく物事をとらえるようになりました。
中学生の時に衝撃を受けた作品をいくつか紹介したいと思います。
マルセル・デュシャン 便器にサインしただけの作品です。最初はなにこれ?と思いました。「どんな意味があるのだろう作者は何がしたかったのだろう」と考えた、その時点でアートになる事を知りました。これも衝撃的です。
クリストとジャンヌ=クロード 島を巨大な布で覆ったり、巨大な傘を一面に置き、全てをアートにする表現に衝撃を受けました。
アルベルト・ジャコメッティ 人間の形をした長細い作品です。これでも作品になるのだと、彫刻にたいしての考えを変えさせてくれた作者です。
美術に対してより幅広く興味を持ち始めた中学生の頃、修学旅行で京都と奈良へ行きました。
行く前はさほど仏像に興味はなく知識も全くありませんでした。
でもそんな中、衝撃を受けたお寺があります。
それは、皆様がよくご存知の三十三間堂です。
入り口を抜けると信じられない数の千手観音様が並んでおり、先が見えない程でした。
あまりの衝撃に動けなくなり集団行動から外れてしまい迷惑をかけてしまったことを覚えております。
ひとつの仏様に興味を持ったというよりも全体のスケールに圧倒されたのが仏像に対する最初の印象でした。
これが人の手で作られているのだと想 像したら鳥肌がたちました。
まだそのときは仏師という職業は知りませんでした。
それから一年ほどたった後、進路相談を伊藤先生(美術の先生)に相談しました。その時に仏様を作る仕事があることを知りました。
それから近くの仏師を何人も訪ねましたが断られてしまい将来について悩んでいたところ富山県の井波で修行をした彫刻師の方と知り合うことができました。
その方に、「富山に一人、腕の良い仏師がいる。でもとても厳しい先生だけどがんばれるか」と問いかけられました。
色々と親にも迷惑がかかるのでこれが私にとって最後のお願いにしようと決めていました。
両親と共に富山まで行き断られることも覚悟しながら伺ったのが今の私の師匠、斎藤侊琳先生です。なんとか入門を許して頂き8年間師匠のもとで勉強をさせていただきました。
衝撃を受けた三十三間堂の仏様
師匠の仕事場。ここで8年間修行をしました。
炉がある師匠の一服する空間
彫刻の町のメインストリート
富山県の井波町の中心にある瑞泉寺