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2015/08/31

DCF 1.0

夏休み最後の一日に、肝試しに行ったことがある。

言いだしたのは誰だったか忘れてしまったが、男子何人かで近所の寺に行ったのだ。今よりも夜道が暗かった頃。家を忍び出るのがスリリングで、スパイにでもなったような気分だった。

その寺を選んだのは、近所でも有名な“出る”寺だったからだ。

このとき連れだっていったのはみな昔からの住民の子で、みな墓参で勝手は知っている。出る、と言われていたのは寺の裏手、ちょうどニュータウンとの境にある場所だった。

――寺の便所に、白い服を着た女が出る。

この噂は最近になって急に出回った。んなことあるか、と反論すると、町っ子たちはお前たちは慣れてるもんなと鼻で笑った。下水道を整備した新住宅地の住民とまだ従来の汲み取り型の便所を使っていた下町っ子はなにかと反目しあっていて、これもそんな対立の種のひとつになったのだ。

そこは格の高い古刹で、一時は地域一帯を檀家とする裕福な寺院だった。先代の住職が亡くなった後に不幸が続いて、なんとはなしに験が悪い感じが子供ながらに感じられた。雨に穿たれた墓石が並ぶ一角は昼間でも薄気味悪く、墓参でも奥のほうには立ち入らない。その裏手に便所があったのだが、よほどのことがなければ好んで足を踏み入れたい場所ではなかった。

けれど、町っ子にバカにされるのは癪に障る。

あのとき参加した子供たちは、みなわたしと同じような義憤に駆られていたのだろう。恐怖心を隠して寺に赴き、ほらなにもいないじゃないかと言いあいながら問題の一角に足を踏み入れた。

便所は屋根付きで、長く伸びた庇が黒々と影を溜めている。見えてはいるのだし、えいやと行けばいいのだけれど、わたしは足がすくんで動かなかった。弱虫、と後ろからついてきた友人に抜かれた。やつは足音高く便所に向かって走っていき、そして、急に大きな声を上げた。

「逃げろ!!」

え、と思う間もなく、みなてんでばらばらに駆け出した。その背を追い掛けるように、きいいいいと高い悲鳴が伸びた。動けなかったわたしは出遅れて、確かに動く白いものを見た。男か女かは分からない、真っ白いかたまりが、便所の中の闇でうごめいている。口から、声にならない悲鳴が漏れた。

「ゆうれい、……」

では、なかった。そのかたまりは悲鳴を上げられて自分でも驚いて、そこからまろび出てきたのだった。そこにいたのは自分とそう年恰好の変わらない、白い寝巻を着た男の子だった。足もちゃんと二本あった。ただし、普通ではなかった。顔の半分が、夜目でもはっきり分かるくらい青あざで変色していたのだった。

「だれにもいうなよ」

その子は尻もちをついたわたしを見降ろして、ふらふらと墓地の中を町のほうへ歩いていった。わたしは呆然とそれを見送り、それから慌てて駆けて家へ帰った。

数年後、わたしの生家の近所で母親にきつく折檻されていたという子供の死亡が報じられた。錯乱していた母親に殴る蹴るされ、食事が与えられないこともざらだったという。知人のいない住宅地で孤立していた母は、子どもを殺して、自分も死んでしまったのだという。

わたしはまだ、このことを誰にも話したことがない。
話していたら、何か変わっていただろうかと、時々思う。

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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2015/08/31 08:04 | momou | No Comments