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「挑戦のJJF2001」の続きです。
これまでの人生において、「優勝」という経験をしたことの無かった僕ですが、JJF2001の「シガーボックス競技会」で初めて「優勝」という経験をしました。
いくら4人中の1位とはいえ、素直に嬉しかったですし、誇りにも感じました。今でもそう思っていますしね。
ところで、この年のJJFのチャンピオンシップ(=ジャグリングの国内最高峰の大会)で優勝したのは、現在プロでも活躍されている
リスボン上田さん。
デビルスティック(=棒を浮かせるジャグリング)の達人です。
彼とは、この前の年のJJFでも出会っていたのですが、近くの大学の奇術研究会に所属されているということを知ったのはこの大会の少し前くらいであり、親しくなったのはその後からです。
そして、僕と同様、道具別の競技会で「ボール部門」の優勝者、「ディアボロ(=中国独楽)部門」の優勝者もやはり近くで練習しているジャグラーでした。
つまり、この時期、
「ボール」「シガーボックス」「ディアボロ」の競技会優勝者、そして「デビルスティック」を使ったジャグリングのこの年のチャンピオンが大阪に全員いたことになるのです。
JJFの直後くらいに大学で開催された学園祭には、このメンバーが全員遊びに来てくれて、まさに当時の最高峰のジャグリングが大学の一角で行われ、観客のみならず、出演者一同もこの豪華な面々に酔ったものです。
さて、とあるジャグリング道具を扱うおもちゃ屋さんとの交流があったのですが、
この頃、某テレビ番組で「日本各地にいるチャンピオンを取材する」というコーナーがあったらしく、
そのおもちゃ屋さんのオーナー経由でこのテレビ番組に出演しないかという話がありました。
その「某テレビ番組」というのは、多分皆さんも名前も聞いたことのある、ゴールデンタイムに放映されていた番組です。
もう、それは二つ返事で出演を決め……るつもりだったのですが、話を聞いてみると、納得できない部分があったのです。
そのおもちゃ屋さんは、ジャグリング用品を取り扱うだけでなく、練習会も開催したり、時には、そんな練習会に参加しているメンバーの中から巧い子を率いて近所のアミューズメント施設に公演をしに行くなどの活動をしていたのですが、
どうやら、僕たちは、「その練習会に参加しているメンバー」として紹介される、というようなのです。
それはなんか違わないか?
当時の僕はかなり嫌悪感を感じました。
さて、早速オーナーに抗議の電話をします。
「いや、僕の紹介は大学のサークルに所属しているって紹介してくださいよ。だって、おかしいでしょう?」
「あのねぇ、そんなのテレビ側ではどうでもいいことなんだよ。」
「いや、納得いきませんっ!!」
「君は今若いからね、そういうことを思うかもしれないが、そんなものは些細なことなんだよ。」
まあ、今振り返ってみると、当時の拙い技術でよくもまあこんなプライドの高いことを言えたものだと思いますが(笑)
でも、何か自分が競技会の優勝者になった手柄を横取りされるような気がして、この一線は譲りたくなかったんだと思います。
ただ、オーナー側も一切譲るつもりはない模様。
1時間近くの電話でも、両者一切歩み寄りは無く、話は平行線のままでした。
「いや、だったら直接テレビの担当者に申し出るんで、担当者の電話番号を教えてください」
もう、話あっても無駄だと思い、僕は会話を切り上げようとしました。
「教えるわけねぇだろ、バーカ」(ガチャン)
↑この言葉、あまりにもショックで未だに鮮明に覚えています(笑)
あまりにもショックだったので、当時仲の良かったジャグラーに片っ端から電話をかけて、
こんなこと言われたんだけど的な話をその後延々とした記憶もあります。
やれやれ。
若かったですね(笑)
とは言え、今同じ話を振られたとしても、所属しているサークルについては譲れない一線です。
何かしらの支援を受けていたりしたら話は別なんですが、特に恩に感じることもなかったですしね。
逆に、オーナーの方がいい大人なんだから、歩み寄りをすべきであって、何かしらの妥協案を提示すべきだったのではないかなと思うのですが、電話口がヒートアップしすぎていてそういうことも考えられなかったのかもしれません。
まあ、そんなわけで、
せっかくゴールデンタイムのテレビに出演する機会があったようなのですが、自らこの機会を失ってしまいました。
ただ、このことについては全く後悔しておらず、むしろ、サークルを裏切る行為をせずに済んで良かったと思っています。
その後別の機会で別の番組に出演することになりましたしね。
ちなみに、収録は無事行われたらしいのですが、放映されたという話を一切聞いておりません。
ヒートアップしたのがアホらしいですが、まあ、そんなもんなんだろうなぁ。