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2011/04/24

ライバル出現」の続きです。

ちゅちゅむさんというライバルに出会って間もなく、
JJF2001が名古屋で開催されました。

僕は、JJF2000の時にもボランティアで仕事をしていたのですが、
JJF2001でも何かしようと思い、ワークショップ(講習会)のスケジュールを決めたり、当日のワークショップのアナウンスなどをする仕事が割り当てられていました。

さて、それはさておき。
僕はこの年、JJFのチャンピオンシップ、いわゆる
「国内最高峰のジャグリングの大会」に出場する決意をします。

また、それとは別個に、「道具別競技会」という、
使う道具が限定された大会も開催されることになったため、
シガーボックスとボール、2部門へ向けての練習をします。

つまり、この年、僕は
・シガーボックス競技会
・ボール競技会
・チャンピオンシップ

の3つの準備を同時にしたことになります。

まずは「ボール競技会」。
その当時の僕は、7ボールにも挑戦するなど、ボールにも自信がありました。
何しろ、その前の年のJJFでは、5ボールが続く人がそんなにいませんでしたし。
しかし、1年も経つと、状況はころっと変わるものです。
既に、JJFは「5ボールができて当たり前」の場と化しており、
「ボール別競技会」は、それぞれが創意と工夫で作られた技の数々を披露していました。
僕はと言えば、もともと当たり障りのない技の準備をしていたにも関わらず、完全に空気に呑まれ、決められる技も決めることができず、まさかの最下位。

これは、ショッキングでしたが、次は本命の「シガーボックス競技会」。
出場者は、僕、そして、以前の日記で紹介したセバさん、現在でもプロで活躍されているパクパクりゅうじさん、そして、出会ったばかりのライバル、ちゅちゅむさんというメンバー。かなりの強敵たちです。
しかし、こちらは、直前に行われた「ボール競技会」でリラックスできたのか、決めたい技を全て決めることができ、優勝しました。

そして、チャンピオンシップ。
こちらも、割と頑張ったつもりではありましたが、結果は振るわず、
順位は下から数えた方が早い順位でした。
舞台の上に立った記憶はほとんど残っておらず、
ひたすら技のみをやっていただけのような気がします。

今、冷静に考えてみると、
当時の僕は、シガーボックスの技術は間違いなく日本では指折りの使い手だったと思っていますが、ステージでの動き・構成などは圧倒的に経験不足・知識不足でした。確実にステージに出られるような腕では無かったと思います。
とは言っても、当時の日本には、それほど多くのジャグラーがステージ経験をしていたとも思えないので、おあいこの勝負だったのかもしれませんけれどね。

ステージの上でのジャグリングを覚えることになるのはまだ当分先のことです。

ただ、それまでこういう大会で優勝ということをしたことがないので、
素直に「シガーボックス競技会」での優勝はうれしかったです。
とは言っても、4人中1位なだけですし、あまり人に自慢のできる話では無いんですけれどね。

2011/04/24 11:44 | ryuhan | No Comments