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皆さん、おはようございます。
椿姫がそうであったように、
ラ・ボエームも私の嫌いなオペラの一つ・・・でした。
過去形です。(笑)
この2年ほどで、私の扱えるオペラになった・・・
いや、私自身が取扱い可能な状態になったようです。
そして、コジ・ファン・トゥッテ、椿姫と並んで、
私の中で、「俺の恋愛オペラ」というものになりつつあります。
この3作品を通じて、私の愛し方というものの追求する、
というコンセプトが組まれているように感じます。
ボエームについて、あらすじはどこかで読んでいただくとして、
断片的かもしれませんが、
基本的なプランを書いておきたいと思います。
まず、このオペラ全体を、ある誰かの夢、
という設定にしたいと思います。
私が思考している限りでは私の夢のようなものですが、
他者がこれを見る時、その人の夢かもしれないし、
誰か他の人の夢と見るかもしれません。
ともあれ大事なことは、現実とは捉えないということです。
衣装プランから申しましょう。
安い、例えばユニクロなどのTシャツとか、
それも、グレーや黒の、なるべく地味なものを、
キャストはお揃いで着ることにしたいと思います。
それがベースになり、あとは必要なものを羽織ればよいと。
これは何を表しているかというと、
夢であることを表しています。
夢なんて、特徴的なところを除けば、
たいてい白黒グレーのような、色のないものですし、
そこに登場する人たちはたいていが自分の分身であり、
異性がいたところで、せいぜい自分の願望の象徴でしかありません。
つまるところ、登場人物の全員が、
その夢を見ている人物本人でしかない、ということです。
それゆえオペラを見ている誰もが、
誰の視点で感情移入してくれてもいいのです。
これはどういう夢かというと、
恋が始まり、紆余曲折あった結果、
恋人が死んでしまう、という悲しい夢。
その夢から覚めた時の何とも言えない感覚を、
観客には味わっていただきたいと考えています。
キャッチコピーは、およそこのような趣旨でと考えています。
「こんな夢をごらんになったことがおありでしょう」
これを実際の恋の追憶、夢と思っていただいてもいいし、
オリジナルの夢、と思っていただいてもいい。
それは各自の感性によるものだと思います。
これら恋愛オペラにサブタイトルをつけると、
およそこんな感じになるでしょうか。
コジ・ファン・トゥッテ・・・「ラブレター」
椿姫・・・「容赦なき現実」
ラ・ボエーム・・・「追憶と夢」
もちろん、これは私の作品観の話です。
ラ・ボエームの最後の場面は明確な構想があります。
ミミが横たわる台に光を集め、その他は薄暗くします。
ミミは死ぬ代わりに、静かに退場。
その他の人物も適宜退場。
最後はマルチェッロ、そしてロドルフォが去り、
観客は後奏を、スポットライトを浴びている台を見ながら
聴くことになります。