« ワークショップの進化(辻秀一物語 第28回) | Home | 第28回バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2014/2015』(その4) »
大きな仕事が終わると、なにかたまらなく寂しくなる。
その仕事に関わっている最中は顔も見たくないと思っていた人たちに会いたくなり、時間が惜しくて片手で食べていたサンドイッチではなくもっと手間暇をかけた食事を摂りたくなり、腹が立って仕方がなかったメールすら懐かしさを覚える。
とはいえ仕事は終わってしまったので、次の問題に取り掛からなければならないのだけれど、気の抜けたビールみたいになってしまった頭はそう簡単には切り替わらない。
そういうとき、私は猫の顔を見に行くことにしている。
「また来てたの?」
薄暗い室内で猫に遊んでもらっていると、彼女は帰ってくるなり露骨に面倒くさそうな顔をした。
学生時代からだから、彼女とももう古い付き合いになる。
いっときルームシェアをしていたこの部屋で、私が出て行くのと入れ違いに彼女は猫を飼い始めた。今の子で二代目だ。
まったく居るならいるで電気くらいつけなさいと小言を言いながら彼女はパンプスを片付け、冷蔵庫の中を整理して、溜まった郵便物を仕分ける。私は一応の謝りを口にし、それでも猫から視線は外せない。
猫は今、わたしの膝の上で丸くなって寝ている。
ふさふさとした毛並を通してほのかに温みが伝わってくる。
猫には名前がない。ねこ、とだけ彼女は呼んでいる。
一度に一匹しか飼わないから、名前はいらないのだそうだ。
それに倣って「ねこ」と呼びかけると、賢いこの猫はきちんとこちらのほうを向く。機嫌がよければ構ってくれるし、悪ければそのまま離れて一人遊びを始めてしまう。
その気儘さがなんだか気持ちよくて、彼女より猫に会いに私はこの部屋によりついてしまう。
勝手知ったる他人の家は、男の部屋で気持ちの探り合いをするよりはるかに私のことを寛がせる。
「あんたはわたしじゃなくて猫に会いに来てんのよね」
ひと段落ついたのか、コーヒーをカップに注ぎ分けながら友人は呆れたように言う。
動けなくなっていることを察したのか、手が届くところにカップを置いてくれた。家主の気配に一瞬身を固くしたが、猫はそのまま眠り続けた。
「自分で飼えばいいのに」
「そうだけど、世話が出来ない」
自分一人の世話でも手に余るのに、と愚痴をこぼせば、そうでしょうね、と涼しい返事。
毎日きちんと仕事にゆき、日課のように同じスケジュールをこなせる彼女と違い、私の本質は基本的にずぼらなのだと思う。仕事の忙しさにも波があるし、家に帰れないことも多い。片付かない部屋では猫はこんなにも寛げまいし、だいいち、そんなところで暮らすのは気の毒だ。
言い訳だと分かっていながら、私はこの部屋にたまに遊びに来る方が楽なことを実感してしまっている。
「この子が起きたら、帰る」
私の言葉に彼女はうなづく。いつものことだ。帰れば、私は私の部屋で眠り、また仕事をする。
けれどこの子が起きるまでは、この部屋のありがたさに包まれて癒されているつもりだ。いまでもこんなことはできないとわかっているから。
猫はそんな勝手な思いを知っているのかいないのか、ほかほかと暖かく眠っている。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。