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地球の舳先から vol.350
東北(2015)編 vol.2
※こちらの記事には、2014年12月末の名取市閖上地区の
写真を掲載しております。閲覧の際はご注意ください。
見渡す限りの、オレンジ色の土地。
「きついな…」というのが、最初に抱いた感想だった。
仙台へ着いた翌日、津波で壊滅的な被害を受けた閖上(ゆりあげ)地区を訪れた。
瓦礫がなくなり、盛土も進まない土地を草木が覆い始め
真冬を迎えるオレンジの枯れ草色に似あわず、逞しく生き始めていた。
閖上地区の被害については幾度もの報道で見聞きはしていたし、
震災後、事情あって仙台で働き始めた閖上出身の知人のこともあった。
しかし実際、1メートル半ちょっとのこの身をもって現地に立つと、
生活の失われたその土地・空間の、肌で感じる広大さに言葉を失う。
報道の文字が写真になり、カラー映像になっても、
そこにリアリティなんてこれっぽっちもない、と思い知る。
丘のように盛られた高台「日和山」の上に、鳥居が見えた。
一段高いところからこの場所の全貌を見るのは気も引けたけれど
ここまで来たのだから見られるものは見ていくしかない、とも思う。
その鳥居は、宮大工だったとある方が、震災後に残った部品を少しずつ
集めながら作ったものであるらしかった。
登る階段の設置費用はクラウドファンディングREADY FORで集められたものだという。
当時の写真もあるので、ぜひこちらもどうぞ。
海に向かって牌が何本か立てられている。桜の木もあった。
すぐ近くのブロックにはまた立派なモニュメントが建っていた。
そして、被害に遭った人たちの住所と名前がひとりずつ刻まれている。
同じ苗字の人が続くところもあり、当時の状況を物語る。
「街がいっこ消えた」――そんなホラーかSFかいずれにしても
映画みたいなことが、起きるわけがないのだ。
ひとつの広大な空間が、すべてが失くなったように見えるけれどもそれは
1人の人間が突然いなくなる、ということが大量に起きた結果。
刻まれた1人1人の名前こそが、ここで起きたことのリアリティだった。
たくましい光景もあった。
廃車になったのであろう車2台の間に木を通し、大根の一本干しを作っている。
となりでは、野菜の青々した葉が育ち、コンクリートなのか土なのかも
よくわからない家の基盤だった部分が、違って見えてくる。
しかし、1台はナンバープレートをはがし、1台は隠れるように物を置いてある
ところを見ると、何か嫌なことがあったのだろうかとも思い
カメラを向けるのもじゃっかん躊躇する。
想像しようとしても、しきれない。
それでも、想像しようとするしかなかった。
ここも大川地区同様、今も様々な被害当時の検証が続けられている。
ダイヤモンドオンラインより
海沿いに建ったゆりあげ港朝市は、年末と毎週日曜日の開催。
出足が遅かったので、名物の赤貝丼は逃したが、活気があり温まる食べ物も沢山。
飲食店が入った屋内のスペースもあるし、外のバーベキューコーナーでは、帆立や牡蠣、海老などをその場で買って焼いて食べることもできる。
帰りは、名取の駅まで出ている無料のバスを利用した。
目印になるのだろう、このあたりで唯一残された建物の所に建て看板があり
ミニバンに拾われる。仮設住宅を回って駅へと繋ぐが、ほかに乗客はない。
久々に見た海沿いの地震痕だった。