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2011/04/18


母が言うには昔から、わたしには主体性というものがなかったらしい。
例えば二つおもちゃがあったとして、どっちが欲しい? と尋ねられても選べない子供だった。誰かが先に選び、残った方をわたしが貰う。ひとつしかなければ最初から諦める。気に入らないものでもあげると言われれば受け取った。積極的に選ぶ勇気も、断る強さもなかったのだろう。わたしは与えられる範囲で満足できる程度のおめでたい性格なのだった。
三つ子の魂100までとはよく言ったもので、確かにわたしは優柔不断と呼ぶのも申し訳ないほど自分というものがない。
おまえってこうだよな、と言われればそうなのかなと思うし、そんな奴じゃなかっただろと詰られば申し訳なくて、意に沿うように努力した。そのせいか友達も恋人もみんなはっきりとわたしには物を言うひとばかりで、それがとても楽だった。「あるべきわたし」を彼らはみんな知っていたし、それをトレースしている限りわたしは彼らに守られ、一緒にいられた。一緒にいれば選ばずに済む。大変じゃないし、苦しいこともつらいこともない。幸せなのだ。

「なあ、お前なんで泣くんだよ。そんな奴じゃなかっただろ?」

彼らがわたしに望んだことをオウム返しになぞっていけば、破たんなんか来ないはずなのだ。今、わたしが望まれているのは速やかに自分の部屋を出て三時間くらい映画でも見て時間をつぶして、なんでもない顔で帰ってくることだ。彼がしている誰かとのセックスを忘れて、温かい食事をつくることだ。彼の顔を見ればわかる。わたしを誰だと思ってるんだ。今までずっとそうやってしか出来なくて、これからもそうやって生きるつもりの、わたしを誰だと思ってるんだ。
なのに、わたしがしたことは玄関先で泣くことだった。訴えるように激しくでもなく、悲しみを表すようなすすり泣きでもなく、ただ、驚いて。俯いたつま先に落ちた涙が、誰かのかわいいピンヒールをぼとぼと濡らした。

「いい加減にしろよ。お前、自分の立場分かってんだろ」

彼の声に背を押されて、わたしは自分の部屋を出た。
分かってる。分かっていた。自分でそういう立ち位置を選んでしまったんだということは。何も選ぶことが出来ず捨てることも出来なかったから、そういうことになってしまったんだということは。
何も失わず、誰もなくさず、守られて一緒にいる。幸せだったはずだった。

なのに今、どうしてこんなに、わたしは自分を馬鹿だと思っているのだろう。
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花言葉:育ちの良さ
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2011/04/18 07:49 | momou | No Comments