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BW Challenge Day1.
2008.9.28. 1:26 AM.
Model/Yukiko.
BW Challenge Day2.
2013.3.19. 23:21 PM.
Model/Erika.
BW Challenge Day3.
2014.11.25. 21:43
Model/Kei.
BW Challenge Day4.
1998.Self and Miz.
「自我の灰色」福岡〜新宿1998より.
Day5.final. 2001.
Model/Anonymous girl.
「自己嫌悪病棟 case1夜来るもの」より
前回の項で次回が今年最終回、と書いたけれど
ひとまずそれはおいとくことにして.
過日、僕はFacebookを中心に各国多くの
写真を撮る方々が参加している
「bwchallenge.」に参加することになりました.
ルールは5日間、1日ずつモノクロ写真を掲載して
#bwchallengeのハッシュタグを付ける..と.
特に縛りは無いみたいだったことと
敬愛している作家の方からの繋がり
だったので、託されたものを大切にしたいと
思って作品掲載することに決めた次第です.
ちょうど来年3月には福岡で「MONOCHROM SHOW」に
参加出展することでもあるし、新旧絡めながら5日間、
この機会に自分のモノクロームとトーン、階調にもう一度
対峙してみるのも良いのかも..という意味もありました.
それで、本来コラムのこの回は、
今年最後を締めくくるに相応しい
ものを用意していたのですが
5日間を終えて、掲載した作品の
それこそ新旧入り乱れながら、また
自分自身や今はもうわからない「誰か」へ向けた
手紙を書いているような感覚にもなって来て.
じゃあこの際、このコラムの場を借りて
それをずらっと羅列させてもらいながら
テキストを書いてみるのも試みとして
意味のあるものかもしれないと…
だから今回は、もう誰なのか、何故なのか
わからなくなってしまったものたちへ向けた
「モノクロームの手紙」..です.
ほとんど思いつくがままに記すので
長くなると思いますが…
Day 1.
一夜のうちの、数時間のうちに
紡ぎ出されてすぐに引き裂くように
千切れてしまったような夜の..そんな時間の中の1枚.
寒かったのか暑かったのか
何を会話で交わしながら撮ったのか
それさえも忘れ果ててしまったけれど
シャッターを切る度に自分の何処かが
痺れていくような、自分が知っているのとは違う
何処かの異世界へ連れて(連れられて)来て
しまったような…
そんな感覚だけは今でもはっきりと覚えています.
プリントして「展示」というカタチに
なっていないシリーズでもあって
まだこれをそうする時ではないのか
もうそうすべき時は過ぎてしまったのか
判然としないままのシリーズです.
そうするに相応しいプリントのカタチ…
銀塩とデジタルが僕が望むトーンを
プリント出来るような手段に巡り会えた時が
この作品群を出すべきタイミングかなと思っています.
Day 2.
実はすごく「とっておき」だったけれど
いろんなことが重なって行き先を失ってた作品.
この日は撮り進めている作品の経過報告と、
プリントのお渡し..で済むはずだった
そんな日の、撮るはずのなかったアクシデントのような
作品たちです.
OLYMPUS PEN E-PM2やフジのX20といった
いつもはスナップに使っている
軽量機材での撮影で、すごく乱雑な撮影現場になって
いつもの機材とは違う、不自由なファインダーの向こうで
後から後から溢れる意思と、熱に煽られるように
また深い夜へと入り込んで行って撮られたものたち.
いつだって自分の手に負えない「想い」って絶対あって、
それが何かを創る、産み出す..そんな方向へ向いたとき、
思いも寄らぬ、途轍もないものが残されていく…
或いはそこで何かを得たり失ったりもするけれど
あそこでそうしない限りその先へはきっと
進まなかったのだろうと思う作品たちです.
Day 3.
今まさに現在進行形になるシリーズです.
2015年へ向けての、起点になり得るのか
まだ模索の中、僕自身もまたすごく
楽しみでもあります.
昨年の福岡、今年の新宿と僕は写真展の会場に
言葉を添えることをしなかった.
それはたぶん、今まで言葉に依りすぎていたから.
でも写真と言葉、テキスト、キャプションの関係、
繋がりや言葉を使う危険さ..それをしっかり把握して、
的確で上質なキャプションやテキストを添えて
作家側からの最低限のものを伝えて
その上で作品観てもらうことをより深いものに出来ればと
考えたりしています.
「言葉を手に入れるための写真」
そこへある程度は誘導しても良いのではないのかと…
このコラムでもまだ全くそこへは至っていないっていう
自覚はいつもありますが…
特に新宿での開催では、
自分の知らない街
自分のことを知らない人たち..
そういう場所だからこそ「テキスト」は
必要だったんだろうと思っていて.
それがフィクションでもノンフィクションでも.
それでもやっぱりあれはもう精一杯でもあって.
そこで出せるものを僕は持っていなかった.
課題となるものはそこから先にある感じです.
Day 4.
1998年の初個展「自我の灰色」から.
この写真展で「自我の灰色-Tokyo Edition-」として
僕は初めて「新宿」で写真展を実現…
と経歴上ではなっていますが、この時点での僕は
何も実現出来ていない..どころかむしろ死んでいて.
そんな状況の中にいて、それは全部自分が招いたこと
なんだけれど..ここからもう一度、
新宿へたどり着くまでに16年が必要になるわけで.
画面左に立っているのは僕自身で、レリーズケーブルを
使って撮影.ゴミ袋の後ろからストロボを入れて
手前からももう一灯…つまりライティングの計算や
コート、人が入れるサイズのゴミ袋…などの小道具と
このカットにはコンテがあります.
つまり初めから、これを撮るつもりだったわけです.
外見上も内面的にも、セルフポートレートでもあり
これが始まりでもあり、終わりでもある…
「愛しているのに」
「愛しているから」
これが撮れたから今がある.
撮らなかった未来もきっとあった.
それが幸せなことだったのか、
それとも撮らないでいた方が良かったのか.
そういうのが全部この一枚に入っている
ある意味決定的な作品です.
Day 5.
5日間のラストカットは
2001年の個展「自己嫌悪病棟 case1夜来るもの」 から.
この写真展はもうとにかく暗室とプリント..
それに尽きるような感じです.
それを現すように画像でも解りますが
何度も何度もネガキャリアに出し入れした証に
ネガに傷があります.
それがやけに生々しく感じられて.
全30点、508×610の大全紙を手焼きして
手作りの木製パネル貼りで展示したのは
後にも先にもこの写真展が最初で最後.
暗室の備わった滞在型の芸術施設
山口県の秋吉台国際芸術村に泊まり込んで
ひたすらプリントしたのですが
その合間、ふっと一息、喫煙所で見上げた
秋吉台の空の星がすごくキレイだったこと.
共同キッチンでの自炊とプリントの水洗、乾燥待ちの時間に
利用されていないホールを独占して好きな映画観たり.
アートだけに触れていられる場所に滞在することは
それは今思い出しても、胸が高鳴るようで
だから今でもあの「暗室」に焦がれる自分がいるのかなと
思っています.
少し専門的な話になりますが
この作品に使用している印画紙は
ILFORD マルチグレード4
FBファイバー/無光沢/滑面/バライタ印画紙.
実は僕は個展ではこの印画紙しか使っていないのですが
この印画紙が出してくれる黒の深さとトーンに
近づきたくて、昨年からの個展ではマット紙を使っています.
だけどこの印画紙が持つ圧倒的な黒の深さと冷たさ
無光沢に触れたときの感触にはまだまだ及ばない.
その上で、美術館収蔵などにも耐えうる
アーカイバルプリントにも適した印画紙なので
もうここまでの大規模な手焼きプリントをすることも
ないだろうと当時考えて、ウォッシュとリンスを施したのみですが
13年後の今も保存状態はすごく良いです.
いつか再び..があるかどうかはわからないけれど.
作品としては、その当時までは絵コンテとか
小道具で、まず先に物語やコンセプトありき..
の撮り方をしていたとこから
「今、ここで起こったことそのもの」を
紡ぎ出しながら撮る方向にシフトしたという意味でも
すごく重みのある作品です.
以上5日間の掲載作品が、混沌とクラクラ感でいっぱいの
作品だったことが、こうして並べてみるとよく解ります.
そして案の定、よくわからない長文になってしまい…
初個展から今年まで16年、その他入れると
およそ20年くらい、ずっと「モノクローム」と
階調、トーンを求め続けて来た自分がいて.
それはきっと技術とかノウハウでは無くて
ただひたすら求め続けること、
届きたいものに手を伸ばし続けること.
近づいてるのか、遠ざかってるのか
そのことよりも、そのときの自分が
「これが、自分の階調なのだから」と
前を向くことが出来るか.
写真を…その想いひとつと
求めたモノクロームのトーンのみで
ここまで来れていること.
それを手紙に書き添えて「モノクロームの手紙」を
投函したいと思います.
誰に宛てたものかは、今はもうわからないけれど
まだ見失ってはいないから.