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皆さん、おはようございます。
ひょんなことから、10月、そして12月と、
2度に渡って「花は咲く」を取り扱うことがありました。
東北の震災復興ソングです。
実はサビの部分は何となく知っていましたが、
これまで扱うことはなかった曲でした。
楽譜を見たのも、実はこれが初めて。
歌っていて、気づきました。
ああ、これは震災での亡者目線だ、と。
何をいまさら、とはおっしゃらないように。
本当に知らなかったのですから、歌詞とかは。
その時初めてまともに目にする歌詞だったのですよ。
「叶えたい夢もあった、変わりたい自分もいた」
これを見た時に、え?と思いました。
一瞬のうちに、誰がこのセリフを吐けるかと検索しました。
結果は死んだ人でした。
生きているならば、よほど重大な障害でも負わない限り、
夢を叶えることを諦めるには根拠薄弱だし、
自分を変える余地なんていくらでもあるからです。
「叶えたい夢もあった、変わりたい自分もいた」
この先に続く言葉があるとしたら、
でも、もう叶えられないし、変わることもできない、です。
そんな存在がいるとしたら、それは亡霊以外にありません。
そして、その亡霊たちが本来持っているべきこの世への未練、
叶えようとしていた夢の実現を、
生き延びた人どころか、まだ生まれていない人にまで託している。
この歌が独創的かつ現代的であると感じるのは、
こんな一大事にあって、恋愛を大事であるかのように歌っていることです。
生き残っている人たちに向かって、
めげるな、頑張れ、立ち上がれ、自分たちの分まで生きてくれ、
というようなメッセージを発しているのではない、ということです。
復興といいつつ、その目は現在を通り越して、
まだ受精卵にさえなっていない存在に対しても呼びかけている。
これはもはや、復興ではなく、生のプロセスの歌です。
希望、と解釈してしまえば前向きに思えますが、
コインは裏まで読んでこそ味わいがあるというもの。
託された希望の裏には、かならず絶望の哀しみ、諦めの哀しみがある。
この歌が政治的な意味合いをあまり感じさせないのは、
歌われている亡者たちというのが、
被災者であって、被害者ではないからでしょう。
今のところ、原発の崩壊のために死んでしまった、
という正式発表は、私は耳にしていませんが、
仮にそんな人がいるとして、その亡者目線でこういう歌を作ったら・・・
きっと、そんなつもりがなくとも恨み節のようなものと捉えられてしまい、
作者の意図を無視してでも、政治的に排除されるでしょう。
地震兵器によって起こされた地震なのだ、というような
いわゆる陰謀論の類で考えない限りは、
地震というのは加害者が存在しません。
誰が悪くて起こったことでもない地震なればこそ、
死者目線の復興ソングが存在し得るのです。
そして震災の次に来た、原発被害についてですが、
他県民が原発賛成、と叫んでも、原発反対と叫んでも、
福島県は危ないと言っても、大丈夫だ、と言っても、
結局福島県民の気持ちを逆撫でしてしまうことは以前述べました。
なぜなら彼らは、原発を押し付けられ、しかもその電力は使わせてもらえず、
ハイリスク・ノーリターンの状態にある被害者でありながら、
原発を受け入れることで栄えた、いわば加害者の側でもあり、
極めて複雑な思いを持っている人たちだからです。
友人のこの説明を受け入れやすかったのは、
私自身が数年間同じ境遇だったからでしょう。
鹿児島県川内市の住民をやっていましたが、
当時は川内原発がいわば市の誇りのようなもので、
各小学校は挙って原発に見学に行ったものです。
それで町は潤っていたわけですから、
しっかり恩恵を受けていたが、リスクもあるし、
現在のような事態になれば、紛糾するのは当然、という立場です。
私は感情論は苦手だし、はっきり申し上げて嫌いですが、
この問題に関しては、自身ではそうはしないものの、
当事者たちが感情論に走ってしまうのも無理はない、
ということくらいは理解します。
原発被害についての歌を作ったところで、
きっとメジャーにはならないだろうし、
第一、現地の人たちがすんなり歌いはしないだろう。
そう感じている今日この頃です。