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地球の舳先から vol.346
チベット(ダラムサラ)編 vol.9
夏のインドはモンスーン。
高地にいたので関係なかったけれど、5時間かけてダラムサラへ。
車は日本の旅行会社手配なので、この上ないほど快適だが、
途中でまさにという感じの雨が降り始める。雨の峠越え。
最後の目的地であるダラムサラは、ダライ・ラマ先生のいるところ。
中国の迫害によりチベットを追われたチベット亡命政府があり、
いまも難民を受け入れている。丘の斜面に沿ってカラフルな家が立ち並ぶ。
とてもかわいらしいのだが、ひとつひとつの住居は本当に小さそう。
気候の良さもあり、インドに疲れて長期滞在するバックパッカーが多く、
カトマンズにも似た雰囲気。カフェやWi-fiも整っていて楽ちん。
そこかしこにあるおしゃれカフェで雨待ちをしながら、少しずつ観光した。
チベット世界に戻ってきたなと感じるのは、
女性の民族衣装と、やっぱり兵士の多さ。
霧のけむるダラムサラの街を抜けて、「TCV」チベット子供村まで歩く。
前世がどういう動物だったのか知らないが、わたしは山があると登りたがるらしい。
TCVをはるかに通り過ぎて、目の前の山の一番上にある村まで行ってしまった。
チベット子供村は、その名の通りチベットの子どもたちのための施設。
亡命の途中で親とはぐれたり、難民になった子ども、単独で亡命をしてくる子どももいる。
民族浄化を進める中国を子どもだけでも離れられるようにと
妊娠中に亡命し、ダラムサラで子供を産んで自分は中国に帰る人もいるという。
ほとんど生き別れになることが多く、中国によって、手紙や電話のやりとりすら危険らしい。
子どもは元気。雨の中サッカーやバスケをし、教室からは澄んだ歌声が響く。
入り口には、中国に侵攻されたチベット・ラサのポタラ宮のミニチュアの模型があった。
昼は、「ルンタ」という日本人が経営する日本食レストランで取った。
チベット料理に飽きたのではなく、ここで食事するとFREE TIBETに寄付が行くのである。
天ぷらうどん。外国人には、巻きずしとのセットが人気。
ダラムサラはこれといった観光スポットがあるわけでもなく、ダライ・ラマのお寺へ。
中へ入るにはポケットの中までほぼすべての持ち物を預ける必要があるので
近くのホテルを取って、手ぶらで行くのが便利だろう。
ダライ・ラマ先生が若かりし頃は頻繁にここで接見もできたよう。熱心な信者もいる。
そしてお寺の周りは参道として、ぐるっと一周できるようになっている。
タルチョと呼ばれるカラフルな祈祷旗がはためく参道。
途中途中にちょっとした小さなお寺や、回すとお経を唱えたことになるマニ車などがある。
観光客はさほどおらず、現地の人や袈裟を来た僧侶たちがちらほら。これも山道。
平地に出たと思ったら、たくさんの肖像画がかけてあった。
これは中国の違法な侵攻と民族浄化に抗議して自殺した僧侶たちだった。
名前、所属の寺、享年、死因などが書いてある。
焼身自殺したときの写真が肖像になっているものもあった。
(こちらは、高僧になるはずだった少年。中国政府に拉致され、今も行方がわからない)
自分でも不思議だったのは、驚くほどに憎しみの感情が沸いてこないことだった。
こうして帰国して何か月もたった今は、思い出して中国にひどく嫌悪を感じるのだが、
ダラムサラにいた時、瞑想の体制のまま炎に包まれる僧侶の写真を見ても、
そこまで思わせるものに感じ入りはしても、中国に憎しみを抱く気持ちは出て来なかった。
何か、大きな力が働いている。
穏やかな、不思議の国のダラムサラだった。
夜はブータン料理にした。今日こそビールを飲もうと思っていたのに、
独立記念日で「Dry Day」だとかで全土的に禁酒日らしい。泣ける。
「聞いたこともない英語」の二つ目を覚えた。
レストランのメニューには、店主からのメッセージだろうか、1ページ目に
ダライ・ラマ先生のおかげでこの地で平和な生活が送れること、
この地を提供したインドへの感謝、みんなで平和を守ってこの地を発展させていく、
というようなことが書いてあった。
外は雨。夜になるほどひどくなるようだった。