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2014/11/30
ベレン・トメアスー訪問記(終) 日本への郷愁感じた取材旅行 14/11/24 サンパウロ新聞WEB版より
【一部既報】梅田大使一行は笹原農場を後にし、トメアスー(クワトロ・ボッカス)へと戻る。
帰路、CAMTA(トメアスー総合農業協同組合)の坂口フランシスコ理事長の車に再び便乗させてもらっていると、来年3月ごろからトメアスー市から3キロ、クワトロ・ボッカスから約10キロ離れた間の場所に大学の分校が完成するという話を聞かされた。
その土地は戦前、坂口理事長の母方の父親(祖父)がトメアスー市から購入したものだったという。第二次世界大戦で没収されて同市の土地となっていたが、その後坂口家に返還。このたび大学の分校を建てるため、一族にとって思い入れのある38ヘクタールの土地を寄付した坂口理事長は「今後一生、トメアスーの歴史に残ると思う」と個人の目先の利益よりも地域の将来を考えて決断したようだ。
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この日(9月20日)午後7時半からは、トメアスー文化農業振興協会(ACTA、乙幡敬一アルベ ルト会長)会館で梅田邦夫大使夫妻の歓迎夕食会が開催され、会員ら約200人が出席。梅田大使は、同日トメアスーの各機関等を視察したことに触れ、現在ア グロフォレストリー(森林農法)などで世界から注目されている同地の日本人・日系人の活躍を褒め称えた。さらに、第2移住地に続く舗装道路の整備など日本 政府としてできる限りの協力を行っていくことを強調していた。
主催者及び来賓のあいさつに引き続き、平成26年度公館長表彰として在ベレン領事事務所を通じて日本政府から、長年トメアスー地域で農業に従事してきた峰下興三郎氏(75)、高橋茂雄氏(63)、伊藤ジョージ氏(59)の3人に梅田大使から表彰状が手渡された。
また、乾杯の音頭を取った第1回アマゾン日本移民の山田元(はじめ)さん(87、広島)は、入植から85年がたったことについて「感無量の一言に尽きます。人間持ちつ持たれつで、皆さんのお世話になって生かされております」と述べ、充実した表情を浮かべていた。
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翌21日は午前9時半から同地での敬老会が行われたが、予定時間から約40分遅れて開催。敬老会の前には、会場となったACTA会館でアマゾニア日伯援護協会の巡回班が高齢者を対象にした健康診断を実施していた。
記者はその日の夜の便でサンパウロに戻るため、トメアスー発ベレン行きの午前10時半のバスに乗らなければならない。時間の都合上仕方なく、敬老会の取材をあきらめて帰路のバスに乗った。
サンパウロに戻るのは夜だが、往路のブジャルーのバルサ(いかだ)に1船乗り遅れた経緯から、できるだけ早めにベレンに戻っておきたかった。
ところが、帰路のバスは今まで乗車したことがなかったアカラー回りだった。結局、約3時間と往路の半分の時間でベレンに着いたのには拍子抜けした。途中、アカラーでもバルサで川を渡るのだが、こちらはプジャルー経由の往路と比べて川幅が200メートルほどと短い。
炎天下の中でバルサに乗っていると、60代前後と思われるブラジル人女性がなぜか弁当に入ったおにぎりと卵焼きを「食べないか」と勧めてくれた。不思議に思っていると、トメアスーに住む日本人の家からの帰りだと聞いて納得した。
バルサの船上で日本式のおにぎりと卵焼きを食べられるとは夢にも思わなかったが、アマゾンで日本への郷愁を感じることができた取材旅行だった。(おわり、松本浩治記者)
2014年11月22日付
2014/11/30 07:28 | wada | No Comments