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2014/10/31

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写真は、先日行われた日舞の稽古場公演のときのものですが、その公演にいらしたお客様より、こんな質問をいただきました。

「踊っているときに、表情があるのと無表情なのとでは、どちらが正しいの?」

その公演では、複数の踊り手が、それぞれ趣の違う作品を踊っていたのですが、ちょっと怖いと感じるくらいに無表情で踊っていた人もいれば、やたら表情が豊かだった人もいたそうです。

その質問に対して、あくまで僕の解釈にもとづく回答ですが(ここでの連載コラムの内容全てが僕の独自の解釈によるものではありますが…)、以下の様に答えました。

踊りはお芝居みたいなものだから、その踊っている人物のキャラクターになろうとして、歌詞に当てはめられた行動をとろうとしたときに、それに見合った表情は、自然に出てくるものと思います。

ですから、表情が豊かであるかどうかは、作品の内容にもよると思われます。

例えば、何かに驚いたということを表現する動きがあったとして、顔の表情が全く驚いていなかったとしたら、それは不自然でしょう。

例外的に、“人形振り”と呼ばれる、生きた人間が操り人形になった体で踊る作品では、踊り手が人間ではなく人形であることを表すために、意図的に無表情になることもあろうかと思います。

しかしながら、表情が出た方が自然であるとは言いながらも、意図的に顔で表情をつくろうとしたら、アマチュアっぽくなってしまいます。

お芝居においても全く同じかと思いますが、性格や感情を表現するために、内的なものが出来上がっていないのに、顔の表情を作るという表面的なところを拠り所にしてしまったら、パフォーマンス自体も表面的であざといものになってしまうでしょう。

見る側にしてみれば、顔がうるさくて踊りに集中出来なくなってしまうかもしれません。

実は、先日の稽古場公演の最終稽古で僕が受けたダメ出しは、踊りではなく、顔の表情に関するものでした。

踊りの振りが入って、音にも合ってくるようになり、役者として曽我五郎を演じたいという欲求が出てきて、五郎の強さを表現したいと思っていたら、顔の表情が怖く、深刻そうに見えてしまっていたとのこと。

それまではそんな表情をつくったことがなかったのだから、それまでの稽古通りにやる様に注意を受けました。

パフォーマー側の、こうしたい!ああやりたい!という自意識が顔の表情に出てしまったら、お客様にとっては見苦しくて仕方がないかもしれませんね。

本番ではなく、最終稽古の段階で指摘していただいて、幸いでした。

次回は、「久々の大舞台」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。

2014/10/31 08:22 | sakai | No Comments