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地球の舳先から vol.338
チベット(ラダック)編 vol.3
デリーからわずかに1時間と少し。レーへ飛んだのはLCCのGoAirという
航空会社だったが、むしろインド国営よりもよほど信頼ができるというもの。
何せ、HPでも「GoAirは定時運行!」と堂々とうたっている。(そこですか…)
小さい空港に定時に降り立つと、荒涼なる大地と空の広さに圧倒された。
空港の建物まで送るバスの運転席ミラーの横で、ダライ・ラマの写真が揺れる。
見知らぬ土地へ来た、という実感が沸いてくる。
ターンテーブルと少しのベンチだけがある到着場で荷物をピックアップし
ここからは人任せ。久しぶりの、車もガイドもすべて手配済の楽ちん道中。
が、まずは高度順応のための休憩ということで、ホテルへ直行。
ちんまりとこぎれいなホテルで、何より驚いたのはベッドの布団がふかふかだったこと。
コンコンとドアが一応ノックされ、答える前にガイドが荷物を持って入ってくる。
急に酸素が半分以下の富士山頂レベルの標高へ来たので、
階段を10段のぼるだけでも心肺に結構来る。
できるだけ緩慢な動きと深呼吸を心がけ、ベッドに横になる。
と、またしてもコンコンと一応ドアがノックされ、お茶が運ばれてきた。
鉄のポットで淹れた甘いチャイが体に沁みる。
昼になると昼食へ近くのレストランへ出かけた。チベット料理。
そこかしこに、ダライ・ラマの写真が飾ってある。
好物のモモ(水餃子みたいなもの)の入ったスープを飲んだ。
そこから、シャンティ・ストゥーパ、ナムゲル・ツァモ、レー王宮と
小高い丘の上にばかり作ってある観光名所を見学する。
照りつける太陽は地面からの照り返しも半端な光量ではなく、
帽子や日傘などまるで役に立たず肌を焼く。太陽が本当に近いのだった。
近くまでは車で送ってもらえるが、基本的に徒歩で登る。
さっき高地に来たばかりの人間にはかなり辛く、のっけから修行の体。
しかし丘から見下ろすレーの街はまさに岩に囲まれた要塞で、
長く伸びたポプラの木の緑色が濃く、非常に絶景。
タルチョという、チベット仏教独特の祈祷旗がそこかしこで風にはためく。
少しの日陰を見つけて休んでいると、ここにはモンゴル人の死体が埋まっている、
とガイドが説明するので、驚いた。そして、驚いた自分に驚いた。
仏教だって、生まれてこのかた、争いをしてこなかったわけじゃないのだ。
それを平和の象徴のようにまで高めた今のダライ・ラマはやはり偉大だと思う。
日本人が建立したというシャンティ・ストゥーパでは、現在は袂を分つ
たとはいえ日本人の肖像画がいまだに飾られ細かく手入れをされていた。
堂内でガイドがラダック語で書かれた真ん中の展示物を指さし、
「これ、日本語だと思うよ。ナン…ミョー…ホー…レン…ゲッ…キョ…」
と読み上げ、ああそれね、とわたしがうなずくと、こぼれんばかりの笑顔で
「どういう意味??」と質問された。
…。
昔チベットへ行ったときに勉強したかじり知識を漁り、
「えーと、チベット仏教でもなんか、お参りするときとか唱えるやつあるでしょ?
オンマニなんとかってやつ」
「オンマニペメフム?」
「それそれ!それの日本語版だよ!」
「なるほどー!へー!!!」
…本当か?本当か?自分…。
あまりに秘境感あふれる非現実的な光景に、ここがインドであることを忘れる。
一方で軍の施設は非常に多く、武器もった軍人がうようよと町を歩いている。
その、なかなか相容れないはずのふたつの側面。
インドというのは、EU加盟国を全部足したのよりひとまわり小さいだけだという。
複雑に入り組む、これだけの民族と宗教を受け入れたこの国のデカさを思った。
いまここにラダックという地方が存在しているのも、
不安定なバランスの上に成り立つ一瞬の奇跡なのかもしれなかった。
つづく