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地球の舳先から vol.335
東北(2014)編 vol.10(最終回)
「かつおの刺し、ください」 寿司屋で、座る前から頼むと、目の前の板さんが
「今日、チューする予定は?」
「今のところ?」
「じゃ、にんにく付けますね。そのほうが、おいしいから」
陸前高田出身だという板さんとゆるりとカウンターで語りながら、帰りの新幹線の時刻を待った。
新幹線に乗ると、またすこしだけ寝た。遊び疲れて、なんだかよく寝る日だった。
起きた頃には半分以上東京で、そのために早めに帰ってきたリハーサルの時間も迫っていた。
なんのために、踊ってきたのか。
なんのために、吸い寄せられるように気仙沼へ行ったのか。
なんのために、たくさんの人との出会いがあったのか。
長い時間を経て、自分がこれまでやってきたことが、1本の線でつながる感覚があった。
目が覚めたときには、壮大な妄想のような夢が仕上がっていた。
気仙沼にバレエ団を作る。
普通に考えたら、「なに言っちゃってんの」な話である。
でも、現実から逆算をするのが、計画性からたたくのが、本当に大人なのだろうか。
不可能を可能にするのは、結局のところ根性とかだけだったりするんじゃないだろうか。
やればできる。っていうか、「できない」ってなんだろう。
夢を追ってる限り、ずっと道半ばだから、「ダメだった」なんて結論、一生出ないわけだし。
「何年かかるか」も考えないことにした。ただ目先のなにかを、ひとつひとつ。
力をくれたのは、間違いなく、この3日間で会った、しなやかで強い、東北の人たちだった。
それからの日々は、行きあたりばったりの呼ばれて飛び出てを繰り返し、
毎日が濃く飛ぶように過ぎ、気づいたらわたしの夏は終わっていた。
ほとんど毎日、人と会っていた。
何かしらの特殊技能を持った人たちが、「協力してやる」と手を挙げてくれ続けた。
ひと月後にはふたたび気仙沼へ行き、新たな出会いもあった。
特に、現地で唯一のバレエスクール、悲しい被災経験を越えて再び立ち上がった「気仙沼バレエソサエティ」さんと公演をご一緒できることになったのは、願ってもいない僥倖だった。
日を追うごとに、思いついたばかりの活動が、沢山の人のプラスのエネルギーで満ち始めた。
わたしは、プロジェクトの名前から、「ボランティア」の文字を外した。
これは、「震災復興」活動ではない。
震災復興を掲げている限り、それは長く続く類の活動にはならないだろうし、何よりわたしは
“気仙沼がかわいそうだから”この活動を始めたのではなく、
“気仙沼が好きだから”この活動を始めたのだから。
だから、
“気仙沼バレエ旅芸団”。
イメージは、キャラバンの移動式サーカス団。
「被災地だから」ではなく、「旅行するのにいいところだから」、
遠路はるばる出かけて、美味しいものを食べて、温泉でも入って、一芸である「バレエ」をやる。
そして、1年に1度くらい、気仙沼旅行ついでに踊ってくる、という人が増えたら、すごくいい。
ダンサーだって、「自分のための」発表会じゃなくて、「観客に見せるための」公演の機会って意外と少ないから、得るものも大きい。
旗揚げ公演、10月19日。
3年かけるような緻密な事業計画書を、用意しなかったから良かったのかも。
やっと立ったスタート地点。
でも、一段落なのでここで一度、これまでのさまざまな出会いとご縁に感謝して。
踊りに行きます!気仙沼。
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気仙沼バレエ旅芸団