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夜空を見上げたら、とても澄み切った空だった。
半分欠けた月が清らかに輝き、
星たちが、チラチラと光っている。
地球の衛星が「月」 「ひとつ」
冥王星を公転する新衛星が「月」 「ふたつ」
私達が住んでいる地球をいつも夜、見届けてくれているお月様
いつまでも、見守っていてね
私達が生きている姿をちゃんと、最後まで見届けてね
2月28日の朝、
この世から旅立ち、今ごろは三途の川に向かって歩いてるところ
なのか。
人は死んでから、何処に行くんだろう。
本当に三途の川があるのか。
天国 地獄 楽園 それとも 違う人間になって生まれ変わるのか。
最近、読んだ本の中に、三つの道があって選ぶことが出来る
と書いてあった。
先が明るい道だからといって天国でもなくて
向こうに見える光が暗いからといって地獄でもなくて
その人の行いによってその道がどのようにも変わる。
生きていてもこの世からいなくなっても、道は同じなんだな と
思った。
そして父は自分の誕生日に荼毘にふされた。
偶然。 とても不思議。
お母さんのお腹から71年前の今日、生まれ そして71年後の今日
荼毘にふされる。
父の入院先にタクシーに乗って、よく話す、運転手さんがいた。
父、本人も母親もそして私達、孫もそのタクシーの運転手さんに
病院まで送ってもらった。
そして最後の日までもその運転手さんは父のもとへ
送ってくれたのだ。
親族がかけつけてくれたとき、乗る場所も時間も違うのに
その運転手さんが私達のことを覚えてくれていて
親族が名を名乗ったとき、私達を病院までよく乗せた
と話してくれたと聞いた。
最後の最後まで 父の元へ送り届けてくれて ありがとう と
感謝した。
通夜の晩 私の息子は一睡もせず 父のことを見守ってくれた。
立ち昇る線香のけむりを見ながら、私もけむりになりたいと
思った。
お鈴の音を鳴らしながら
「気付いた? ここに私達がいるよ。 夜も一緒だよ。」と
こころの中で話しかけた。
住職が興味深い話しをきかせてくれた。
「ご不幸」という言葉は使わない。
例えば、「あの家はご不幸があって。。」というのは
「誰かが、亡くなられた」と意味するかもしれませんが
「人が死ぬことは不幸でも可哀相でもなんでもありません」
「人はこの世を去って仏になるんです」
「不幸ではないのです。」
「仏教」という言葉の中にひらがなを入れると
「仏の教え」
または
「仏になる教え」とお話しして下さいました。
「仏教徒」とは
「仏になる教えを歩む」ということです、と。
話しを聞きながら少し、救われた気持ちになりました。
父はこれからまた勉強のし直しだと。
子供の頃の父の印象は「本を読んでいる人」でした。
小説でもない、雑誌でもない、手垢でクタクタになった大事な
辞書に線を引いて言葉の意味を何度も心の中で
唱えている姿でした。
英語の赤い辞書もたくさん、線を引き 私が不思議に思うと
「忘れないように」と何度も何度も同じページを心の中で
読んでいる父でした。
なので英語の宿題が出ると、すぐに訳してくれて
すごいなと思ったことをよく憶えています。
プラネタリウムにもよく行きました。
渋谷のプラネタリウムはいつも満席で上映時間前から
非常階段に皆、並んで
席に座って、星空を見上げるのが大好きでした。
父の生まれ育った、鹿児島の「南瀬(のうぜ)」に行って
ぼこぼこしたコケのある薄暗い道を通って先祖のお墓にお参りに
初めて行ったとき、私達が住んでいた蒲田とは別世界で
どんよりした雲空の中、とんでもない田舎に来ちゃった。
正直言って、とても怖かったのを憶えています。
近くに急流があって そこに足をつけたとき
とても冷たかったのを想いだしました。
父との想い出はたくさんあります。
きっと ふとした香りや音楽 写真で、
思い出すことでしょう。
夜空に輝く星や月を見て
人たちが歩く街なかでふと 思い出す瞬間を
楽しみにしています。
隣りにいないのは寂しいけれど
心の中に いつまでも いてね
約束げんまん うそついたら はりせんぼん のおます