地球の舳先から vol.329
東北(2014)編 vol.5
朝6時。フワーーン、という、屋外からのやたら優しい放送で起こされる。
魚市の朝を告げる場内放送だろうが、時間を考慮しての控えめさだろうか。
「今日は時化てて、カツオは明日だよ」魚屋さんの昨日の言葉を思い出す。
二度寝をするほど眠くもない。これは、わたしにも魚市に出勤しろということだろう。
宿泊した「ホテル一景閣」は、震災のなかいち早く営業を再開したホテルで
しかし再開当初は、被災中心部という立地からさすがに泊まるのに躊躇する周辺状況だったのと
復興関係者を優先して受け入れていたこともあり、今回ようやくの宿泊。
盛土をした広大な駐車場に自転車を停めていた。
途中に建物がないために遮るものがなく、市場がよく見える2階の食堂で
無料サービスの朝食をいただいて、いざ出発。徒歩で数分なので歩きにした。
魚市に着くと、カメラを背負いにして、物陰(自動販売機)から顔だけ出して中の様子をうかがう。
ここでまたわたしは、自分が激しい勘違いをしていたことを知る。
「魚市」といえば、唯一わたしが知っているのは築地市場で、よくわからない1人乗りトラック?を
猛スピードで走らせ、ギラギラと大声を張り上げる荒くれ的なところだと思っていたのだが、
よくよく考えればそれは「市」じゃなくて「競り」のほうである。
「怖いところ」「ガイジンが邪魔だ邪魔だと突き飛ばされる」を想像して
心して行ったが、勝手に肩透かしを食らった。
船に突っ込む巨大な網、すくわれる大量のカツオたち。
ベルトコンベヤーに乗せられたカツオを1匹1匹じっと観察する男たち。
なんの基準か(大きさ?)、ふりわける男たち。
氷を入れ、かごで運ばれ、どんどん積みあがっていく。
気仙沼の魚市の2階の廊下からは、そんな光景が見下ろせる通路がある。
ひとしきり缶コーヒー片手に見学した。
前の日の晩、カツオをどうやって釣るかやら、漁師の豪快な生活やらを
聞いたばかりなので、見る目もかわってくる。
漁っていうのは、狩りに近いのではなかろうか。
モノを食べるときに「命あるものをいただいている」という感覚は、
「メェェ」という鳴き声を聞きながらジンギスカンを食べたりとか
なぜか動いたまま串に刺されて盛りつけられるアジなどを見たりすると
それなりに、生まれるのだが
「捕ってくる方も命がけ」ということに心が及ぶことは少ない。
想像もつかないし考えもしない、という常態。
自分の肉体は自分が食べたものでできているのに、不思議な話である。
食べ物が口に入るまでの過程がきっと、長すぎるのだ。
気仙沼だけでなく、今回の旅はそんなことを見直す機会になる。
あのかつおが今夜飲食店ではテーブルに上がるのだ、と思うと
うしろ髪を引かれる思いで、わたしは朝の気仙沼をあとにした。
実は、今回の旅は、まだ半分しか終わっていない。
買い込みすぎた土産を宅急便で東京へ送り、再び身軽になって駅へ向かった。