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古賀英樹写真展「深入り-tokyo-」
2014.7.14-7.20 Place M M2 gallery.
この回のコラムの下書きを書いているのは7/12.
そして恐らく更新するだろう日は
新宿での個展初日.
でも大体は書くことは前から決めていて.
今、たぶん東京の、何処かの端末から更新していると思う..
まず、この新宿への写真展へ結び付け
繋げてくれた、方々と、そこで出会えた方に.
そして20年前から、
連綿と紡がれて来た想いたちに
僕に今出来る、全ての感謝を捧げたいと思う.
僕は今、写真家、写真作家として
確かにこの場所にいるけれど、
それはイコール職業としてのカメラマンや
プロカメラマンとして成功しているわけでは決して無くて.
明かしてしまうなら「やっていけなかった」人間で.
もう7年くらい前になるか
まだ機材を積んで撮影に駆け回っていた頃
まさにこれから..というときだった.
車を運転している自分が、
「片眼」で運転していることに気付いてしまう.
そしてそれは、運転の時だけでなく、撮影の現場でも
右眼が引き攣ってどうしても開かない.
周囲の方から「大丈夫ですか」と声をかけられる.
カメラを覗くのは左眼だし、体調そのものに変化はないので
そう言われたときの違和感はすごく強いものだった.
そしてそれは日増しに大きくなって行った.
カメラマンの眼が開かない..特に車の運転が出来ない、
というのはカメラマンとしては致命的で.
片眼の生活では身動きが取れないまま
今度こそはと掲げた事務所の看板を放り出して
治療を求める日々が始まった.
幾つもの病院へ通うも確たる病気の正体も不明
ただ「〜性〜症」と漠然と薬の量と
曖昧な処方が増えていくだけで.
その後、ふと訪れた地元柳川の医師と出会って
この病気がストレス・精神失調から来る
「眼瞼痙攣」という病で、
本来は女性に多いこと、そして現状では
治療法は確立されていないこと.
そして幾つものクリニックを点々とした中で
処方され、服用していた様々な薬が、
自律神経を崩し、まさに廃にしようしている…
ということを告げられた.
「墜ちる」ときっていうのは、ほんとにもう
何をどうしようと歯止めが効かないものでもあって.
この眼瞼痙攣で身動き取れなかった時期に
僕が逸したものは計り知れない..というか
その後の生活まで一変させるものでもあって.
内側も外側も含めて、自分そのものが全部
一変してしまうことになった。
ようやく病名が判明して大きな病院を紹介され
一貫した治療へと向かっていくことになるのだけれど
「片眼が開かない」
というのは、所謂「障害」というのに当てはまる.
そして眼は開いたものの、仕事先取引先を失い、
プロカメラマンとしての前途を絶たれた今となってもなお
未だに通院している身であったりする.
長々と身の上話など書いて来たけれど
だからと言って、病気がなければ..とか
そんなふうには思ってなくて.
どちらかというと、当然の帰結だと..
そういうところで、そういうふうに
どうにかなるくらいな稜線上でやってきた.
こうなることも含めて、自分の「写真」
だったのだとも思う.
でも、ただ「このやり方でやる」と決めたなら
物理的にも精神的にも膨大な壁に当たるのは当然だと
思っていたし、それこそ病気、障害の一つや二つ
抱えながらでもそれを通すことが出来たならきっと…
あの日の笑顔
あの日々の涙
あの時の傷
忘れることのできないそんなものたちに、
少しだけでも自分の写真で、作品で、
報いることが出来るなら..
いや出来るだろうと考えてもいた.
でも、そんな考えもまた、とんだ甘えだということを
知らされるだけの日々でもあった.
そうなるにはそうなる理由が
あるのだと納得もした.
それでも行くのか、退いて引き返すのか…
そして自分が選んだ先の「写真」は、
生きて味わう、地獄そのものだった.
ブレずに…負けずに…折れずに.
それは言うほど簡単ではなくて.
何度も何度も負けたし、
すごくたくさん心折れたと思う.
声高に人生賛歌を謳うわけではないし
精神論でどうにかなるとも思わないけれど
ただ、今ここにいて、この場所で
写真展している..という現実だけが
自分が抱えて来たもの、やって来たことの
一つの結末を語ってくれているようにも思えて.
降りるべき場所、止められる時は
いくつもあった..だけど僕は降りることも
止めることも出来なかったし
降りようともしなかった.
純なものも、濁ったものも
全部抱えたままで、ここまで来た.
「写真」は想い.
それはたぶん自分が残せる唯一の証だと思う.
たくさんのことを犠牲にしたし、諦めなきゃ
ならないこともたくさんあった.
だけど、自分を形作るものを全部剥ぎ取って
何も残らないかつてのような自分よりも
何か一つが残るだけでも、それはきっと幸福だと思う.
僕は、その一つを大切にしたい.
ようやく得た、確かなものなのだから.
そのドアの向こうに…
その花の向こうに…