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舞台上に現れて、演者に小道具の受け渡しを行ったり、着替えの補佐などを行う存在…
前回コラムにて、黒衣は全身黒ずくめで顔も隠すけれど、後見は紋付き袴の姿で顔を晒すという違いがあることを述べました。
黒衣も後見も共に、本来であれば、その作品の劇中にはいない存在です。
極論を言うと、透明人間になる薬があったり、サイコキネシスでものを動かすことが出来れば、必要のない存在ですが、それが出来ない以上は、生身の人間が舞台上に出て動くしかありません。
観ているお客様側でも、お約束事として、黒衣も後見も、本当はそこにいない人という認識を持つ必要があります。
だったら、黒紋付きで顔を晒さなくとも、そういった役割をする人全員が黒衣を着れば良いのでは…と思うのも正論かもしれません。
目立たなさの度合いとしては、顔も隠した黒衣の方がだいぶ上ですから。
しかし、リアルなお芝居の要素が強くなるほど黒衣が出てきて、様式的な作品になるほど、後見が出てくることが多くなり、黒衣が出るか後見が出るかで、作品の雰囲気も変わってくるかと思います。
そして、黒衣と後見では、身体の使い方が違ってきます。
黒衣の場合は、うずくまる様に、極力体を小さくして隠れる様に舞台上で待機するのに対し、後見が待機するときは、軽く客席に背中を向けるものの、むしろ堂々と姿勢を正して控えます。
それと、黒衣はわりと急ぎ足で移動するのですが、後見の場合は、あまり早く動くと、逆にお客様からのフォーカスを集めてしまい、下手すれば演者がもう一人現れた様にも見えてしまうため、速すぎず、遅すぎない、ナチュラルなスピードで移動します。
僕が初めて舞台で黒紋付きを着けて後見を行った時、なるべく目立たないことを意識する余り、うつむき加減でこそこそ出ていったら、先輩から、
「後見は、そこにいてはいけない人ではないんだよ。」
とダメ出しを受けました。
どうせ存在が見えるなら、下手にこそこそすると、格好悪くて逆に目立ってしまいます。
むしろ、後見を行う自分の姿たたずまいも、様式美の一部になっていると思うくらいが良いかもしれません。
次回は、「人前式とは…」(ブライダル)をテーマにしたコラムをお届けします。