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6月最後の更新です.
刻一刻と東京への期日が迫りつつあるのを
こうして更新を重ねながら感じているところです.
今回は少しチカラ抜いて書こうかなと.
少し前のことになりますが
先日はカメラ専門店さんの方で
(なんちゃって)な写真教室というものを
やらせていただく機会がありました.
初心者のためのデジタル一眼教室@松島店と題して
お店も忙しい中スタッフみんなに支えられての時間です.
参加者がママさんということで、子供たちを撮ったプリントを
作例にしてテープルに広げます.
やはりその場で大きくプリント出来るという
お店ならではの環境での写真教室は安心感と説得力ありました.
やっぱり写真ってプリントが大きなチカラになるのは間違いない.
こうすると上手く背景をぼかせます、
こうするとブレにくく、こうしたら柔らかく…
そんな自分の口から出ていく「技術」や「数値」が、
熱心にメモを取られるのを見ながらふと頭を過ぎるのは、
自分と被写体とを追い込みながら撮るときとを比べたとき、
たぶんそのとき自分は数値のことは考えていないなと…
果たして自分が伝えたかったもの、伝えたいものは
「技術」なのかそれとも「想い」か…
「残る」写真になり得るのは、そこに撮り手にとっての
また写される側にとっての、それぞれの繋がりや関係…
かけがえないものがあるからではないのか…
僕はこのコラムで写真というものが持つ
「想い」という側面でずっと書いているけれど
「伝える」って下手すると写真展するよりずっと難しい.
「良いも悪いも、最後は気持ち一つですよ」と
それまで述べて来た技術話を全部ひっくり返すようなことを
言ってしまう自分に、やっぱり教えるというのは
向いてないなと、思ったのでした…
「写真教室」というのと「写真展」とは
なかなか相容れないものなのかもだけど
そんな教室もあって良いのかな…とも思います.
昨年のクロージングでのトークのときも
感じたけれど、技術とか気持ちとか越えて
いつかはそんなことに臆さずに
「写真そのもの」について話せるようになりたいな…
■ちょっと宣伝を
ただ今出ているアサヒカメラ誌の
写真展紹介欄246ページに
「深入り-tokyo-」が紹介されています.
由緒あるカメラ雑誌にキャプション付きで
載せていただけるのはすごく嬉しいことと
思っています.
何処かの書店でお見かけの際は
読んでいただければ幸いです.
次回からはいよいよ7月のコラムになります.
どうやって更新しようか今から悩んでいて
すごく不安定なものになると思いますが
よろしくお願いします.