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俺が子供の頃には、兵隊として戦争に行った世代のオジさん〜オジイさん達がまだ大勢生き残ってて、軍隊での生活を懐かしむ様な発言もよく耳にしたし、飲むと軍歌をアツく威勢良く歌って、『貴様もうたえ‼︎』とかやってた。昔、俺の親父〜オジさん〜オジイさんの時代は会社でお世話になってる社長も同僚も親戚も同じ席で飲むことになっちゃう様な巡り合わせも結構あったから、戦争に行ったもの同士は年嵩に敬意を払って、いやぁ〜に暑苦しい、楽しいんだかorヤケくそなんだかわからないムードに戦争には行かなかった俺の親父以下の世代が閉口してたもんさ。
ある晩、ウチの親父が言ってた。『あのオジちゃん達は、みんな南の島に行って鉄砲で何人敵兵を殺した!とか言って生き延びて帰ってきたんだけど、今もう誰もそんなことは口にしない。』って、とても嫌な顔をした。
俺が子供の頃には、学区の地域に気のふれたオバちゃんが何人かいて、子供たちは恐れてた。意味もなく殴られたり追い掛け回されたりした子供達もいて有名だった。
子供達は『ヤマンバだ!』と言って恐れたりもしたけど、逆に悪戯を仕掛ける様な奴もいた。
ある時、母親と一緒にお使いに出掛けたときに『ヤマンバ』と呼ばれてるその恐ろしいオバちゃんに遭遇した。
母親は、憐れんだ口調で『ちょっと前まではああゆう人達が沢山いたんだよ。戦争のせいで結婚できなかった人達も沢山いたし、許嫁の出兵直前に結婚したもののあっと言う間に死んじゃったり、敵や自分の国に子供を殺されたりで狂っちゃった女の人達がいたんだよ。』
俺が子供の頃、俺大宮生まれなんだけど。今の立派な大宮駅ができる前の昭和57年くらいまでの西口の近辺は、どぶ板の上に板を張った上に黒ずんだ木造の小さなバラックが立ち並ぶ飲み屋街だったんだ。その西口から東口側の南銀座商店街と呼ばれる歓楽街の入り口に向かって地下道があったんだけど、、、
まだ、新宿、有楽町、池袋なんかの駅の周辺が異臭・悪臭とてつもなく臭かった時代の話だ。
その地下道を通ると軍服を着た足のないオジサンがしゃがみこんでアコーディオンを弾いてた。軍服を着て片腕がなくて頭に包帯をまいたオジサンがしゃがみこんでハーモニカを吹いてた。
そーゆー人達がいつも地下道には何人かしゃがみこんでた。
ともかく怖かったし、嫌な気分がした。そこを通り抜けて歩いてゆく大人達は嫌悪感をしめしながら少し避けて歩いていた様な印象があった。
見たまま、戦争で怪我をした人達だと思ってた。
俺は子供だったから、戦争は遠い昔のことだと思ってたんだけど、今思えば恐ろしい。戦争が終わってまだ25年くらいしか経ってない頃の話だ。
でも、飲んで軍歌を歌いたがる老人はいても軍服を着てる人達はいない。
地下道でアコーディオンやハーモニカを吹いてる手や足のない包帯のオジサン達だけが軍服を着てた。
それを何故だかとか考えるハズもなかった。戦争で怪我をして貧しくなっちゃったんだ。と思い込んだだけだった。
皆さん、知ってる?俺がみた手や足のないアコーディオンやハーモニカの軍服包帯オジサン達。
恥ずかしながら、俺は最近まで知らなかった。
あのオジサン達の多くは、戦時中に日本人にさせられて戦争に行かされて怪我をして帰ってきた元外国人の人達で、日本の敗戦とともに一時国籍を失った人達だそうだ。
だから、軍服を着て主張してたし、地下道を通り過ぎる庶民の大人達は合わせる顔がなかったんだろうね。
時代がちょっと進んで俺が大学生の頃の話。
バブル崩壊直前の’80年代後半の話。
大学生だった俺は、Soul Barでアルバイトしてた。
みんなは嫌がったけど、俺は何故か厨房が好きで忙しい日には厨房に入ってチーフの手伝いをしてた。
チーフは、さほどSoul Musicに興味がなかったらしくいつもラジオを聴きながら仕事してた。
ある晩、ラジオで若者達とオジサン達が対談する番組をやってた。
オジサンが質問する。『もしも、日本が戦争を始めて徴兵されたら君はどうする???』
若者が自信満々な声で応える。『徴兵制度のない国に行くに決まってるじゃないスかぁー!!』
オジサンが返す『ほー。では、君にもう一度聞く、徴兵制度のない国ってどこの国だね???』
若者少し黙る。返答に困った様子。徴兵制度のない国がどこにあるのなんて平凡な日本の学生は知ってるハズもない。
そして『戦争のない国に行きます!』とちょっと言葉使いが丁寧になる。
オジサンは、シメタ!って感じで『戦争のない国ってどこの国のコトかい???』
普通の若者当然応じられない。
オジサン『ねー!戦争をしない日本がやっぱりイイでしょう!』
このラジオで聴いた話、俺はその後30年近く覚えてるってワケさ♪
さらに時が流れて俺が36歳の頃、外資の会社で働いてて同僚には外国人がそれなりに大勢いた。
フランス人なんだけど、スイスで育ってスイスの軍隊に2年間くらい入ってたって同僚が居た。
ある時、日本の食べ物は何が好きなんだよ?って聞いたら、『ヤキソバ!』って応じられた。
『ヤキソバ!? ヤキソバなんかだったら、もうちょっとマシなもんあるだろ??? まだカレーライスの方がイイだろ???』
『カレーライスは、大嫌い!スイスでは、日本製の炊飯器をどこの家庭でも持ってて、どこの家庭でも毎週木曜日はカレーライスの日だって決まってるんだ!
それにスイスの軍隊でもカレーライスを食べさせられるから、食べ過ぎてカレーライスは嫌い!軍隊は、サマーキャンプみたいで楽しかったけどね♪』
と突っ込みどころ満載に応じられた。
『ちょっと待て!軍隊がサマーキャンプみたいで楽しい??? ソレ、マジ???』
『そりゃーそうだよ。救助とか、なんかの事情で軍隊が出動することがあっても、俺達は出動しないし、戦争にも行かないもん♪軍隊はサマーキャンプみたいで楽しかったよ。戦争に行く可能性があったら、そりゃ楽しいハズないよ。』
若人の皆さん方さー。
実質的に軍事産業もしちゃってる企業からお金が入ってくる人達の話より、あなたのお祖父さんとか、ひーお祖父さんのお話に耳を傾けた方が良さそうだぜ!!
文句を言う国を黙らせて、民間機を撃ち落してしまう様な大国の話とどっちを選ぶ???
最近、昔ほどではなくなったけど、戦時中に子供だったお爺さんのお話をNHKなんかで耳にする機会が増えてきた。
お爺さん達は言うよね。
『戦争で得したことなんてひとつもないよ。戦争で良かったことなんてひとつもないよ。戦争だけはしちゃダメだよ。』
戦争のお話なんて、聴けば嫌な気分がすると思うよ。
俺も嫌だったし、今でも嫌。
昔の職業柄、ご年配の方々を対象にハーモニカ、アコーディオン、大正琴なんかの体験教室を企画すると
15分も経たないうちにいつの間にかみんなで戦争の話をしてて、空襲で妹を亡くした、兄を亡くした、両親を亡くしたなんて話になってた。
『老人達を集めると、またコレだ!! また戦争の話をはじめやがった!!』なんて若い頃は思ってたよ。
アニメや映画の世界とは違う!!
本当に生身の人間がリアルに大勢殺された話だし、生身の人間を殺しに行った話だからね。
戦争を体験した方々は、『戦争だけは、しちゃいけない!』って皆さん同様に仰るけど。
それだけじゃない。
それぞれの家族には、それぞれの悲し過ぎるストーリーがあるもんだよ。
家族の記憶は、家族でしか引き継げないよね。