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世は、卒業式シーズン真っ只中。
だが、街を見渡しても、この時期に大挙現れるはずの、
袴姿の女子大生はどこにも見当たらない。
さすがに、卒業式を「不謹慎」と後ろ指さされるいわれはないが、
周囲を包む「自粛」の空気は、いかんともし難いものがある。
勿論、「自粛」だけが中止の主な理由ではなく、
そこには、交通の混乱や、さらなる余震への警戒など、
イベント運営につきもののリスクへの最大限の配慮が見え隠れする。
当然、我がゼミ恒例の、夜通し騒ぐ卒業コンパもあえなく中止。
「ただひたすらに呑む」
その一点のためだけに、都内に旅館まで手配して開かれる、
饗宴ならぬ凶宴が開かれないのは、不幸中の幸いか。
そんな状況下にあって、なんのなんの、
被災地では、手作りの卒業式が挙行され、感動を呼んでいると聞く。
文字や映像が混じると涙腺が緩んでしまう恐れがあるので、
ここは、写真だけでその様子を伝え知ることにしよう。
被災地での卒業式の様子┃NAVERまとめ
http://matome.naver.jp/odai/2130077106455007001
一方、卒業式を「自粛」した埼玉の高校では、
ネット上に掲げられた校長からの祝辞が、ちょっとした話題を生んだ。
高校生諸君よりも、大の大人に響いてしまいそうなメッセージ。
そして、大学に身を置く者としては、少し耳の痛いメッセージ。
いまこのときに、卒業を迎えようとしている全ての若者が、
必然的に背負わなければならないモノの重さを思うと、少し辛い。
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。┃立教新座中学校・高等学校
http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/
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さて。
この時期、卒業式だけでなく、その他のイベントも何かと騒がしい。
例えば、元同僚の送別会。
例えば、元同僚、さらに元同級生の結婚式。
あるものは延期になり、
あるものは中止になり、
あるものは決行された。
いつまでも、日本中でお通夜をしているわけにもいくまい。
かといって、どうやら、3.11以前のような馬鹿騒ぎもやれまい。
その狭間で、誰もがバランスを取りながら、
もっと嫌らしい言い方をするなら、空気を読みながら、
しばらくは日々が続いていくことになるのだろう。
当の自分はと言えば、
大学院の新学期開始が、ゴールデンウィーク明けに延期と相成った。
降って湧いた、1ヵ月の猶予期間を無駄にするわけにもいかない。
微々たる戦力ではあるが、第二の故郷である仙台へ赴き、
自分に出来る限りの支援活動を行うことにしようと考えている。
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今回の大震災で人生観が変わった、なんて話を耳にする。
助けられた小さな命が、大きくなったら「自衛官」になりたいと言う。
物資を運ぶ「トラック運転手」が、実は命を繋ぐ大切な仕事だと気付く。
常に危険と隣り合わせの「原発職員」のリアルな姿を知る。
ただ、勘違いしちゃいけないとも思う。
命を張ることが美しい、という風潮が、時に蔓延するけれども、
本当に目指さなければいけない社会とは、
「誰も命を張らなくてもいい」社会なんじゃないか。
ほんの少し冷静になった今、そんなことを思いはじめている。