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地球の舳先から vol.323
パリ2014編 vol.7
ブルゴーニュに葡萄畑を見に行くことを、今回の旅の大きな目的にしていた。
広大な田舎町なので、車で移動せざるを得ずツアーを探していたが
大型バスはわたしの行きたい村にはほとんど乗り入れておらず、
個人でコーディネートをしてくれる人をネットで見つけていた。
ジュヴレ・シャンベルタン、ヴォーヌ・ロマネ、ムルソー、モンラッシェといった
主要な(というか、いわゆる、な)ワインの生産地を回ってくれることになっていた。
参加してわかったが、団体ツアーが乗り入れないわけである。
コーディネーターの日本人は現地の方から絶大な信頼を得ているのだろう、
案内してくれる畑は素晴らしく、小さな酒蔵も奥まで見せてくれ、
おまけに出してくるワインが質・量ともに「試飲ツアー」ではないレベル。
移動の車の中でブルゴーニュワインの手ほどきも受ける。
いわく、ボルドーワインなどはワインの「味を作る」プロというか職人のような「人」がいて、
その「人」のすごさがワインに反映されるのだが、ブルゴーニュはあくまで自然主体。
だから、ボルドーが「シャトー」といってワインをつくるワイナリーに対して格付けがなされるのと違い、ブルゴーニュは「土地」に名前がついていて土地に対して格付けがなされる。畑が命。
葡萄の味をいかに凝縮するかが大事なので、土地はやせているほうがいいし(意外な話)、
ボジョレー・ヌーヴォーなどはよく「当たり年」がどうこうと言ったりするが
天候の悪い年があったとしてもそれも含めて毎年同じものなんてひとつもできない、
オリジナルで唯一無二の自然がつくりだすのがブルゴーニュワインで、それがいいところなのだ、と。
なんとも素敵な話ではないだろうか。
余談だけど、だから、二言目には「作り手は?」なんてことを、ブルゴーニュものに対しても言ってしまう人は、適当にあしらっておきなさい、ということらしい。
そういえば無類のワイン好きの友人(しかしその人はナパ・バレー派)も
いつか「ボルドーワインは混ぜ物だら」といっていたことを思い出す。
なるほど。
しかし得てして、ワイン好きというのは面倒な人間が多いもんである。
そんな話をしきりに感心して聞きながら、車は南下を続けていく。
後編につづく