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2014/03/23

こんにちは、酒井孝祥です。

先日、僕が通っている流派の浄瑠璃のお弾き初め会が行われました。

諸事情あって、もともとこの会には参加しないつもりだったのですが、急遽出ることになり、稽古回数も限られていたため、過去に習ってお客様の前で披露したこともある曲で出演することになりました。

そこで選んだのが、お稽古に通い始めて一番最初に習った曲です。

これまで人前で語った曲は10曲近くありますが、一番時間を書けてじっくり稽古したのは、一番最初に習った曲です。

そして、認知心理学用語で系列位置効果の初頭効果などというものがありますが、それまでに類似した刺激を記憶をしていない状態で覚えた最初のことは、後々まで記憶に保持されやすいものです。

ですから、今までやった曲の中でも、思い出そうとして一番細部まで思い出せるのは、やはり一番最初に習った曲です。

折しも2~3ヶ月前に、これは日舞の方の先生からですが、こんな話を伺いました。

フィギュアスケートの大ファンである日舞の師が、以前から注目していた選手がおり、実際にめざましく躍進しました。

その選手は、派手な技の練習よりも、基礎的な訓練に重点をおき、初心者が行う様なごく単純な動きの練習を、確実に正確に行う様に毎日積み重ねてきたそうです。

そのことを例えに、芸能においても、基礎がいかに大切かを教えていただきました。

今回、浄瑠璃において一番最初に習った曲を稽古することは、初心に返って基礎を訓練し直すことへの丁度良いきっかけになるかもしれないと思いました。

ところがどっこい、いざその曲の稽古をしてみると、出来ると思っていたことがほとんど出来ませんでした。

正直、この曲を選んだときには、最初にやった曲だし、すぐに出来るようになるだろうという慢心がありました。

それが一転して、ちゃんと出来ないのに稽古の回数は少ないという窮地に追い込まれました。

焦って稽古をして、本番直前までに、何とか6割くらいは体裁が整ったかな…というところまではいったと思いますが、いざ本番のとき、声のコンディションが7割くらいの状態で、出だしの声が思うように出ませんでした。

そのことで動揺してしまったためか、ある箇所で、完全に音が外れてしまってオリジナルメロディーになってしまい、そこから物理的に元に戻すことのみにエネルギーを集中することとなり、作品としてのイメージが完全に途切れてしまいました。

もちろん、外れたところから元に戻すということも大切な要素です。

これまた日舞の方の話に切り替わりますが、日舞の師が僕に名前を取らせても大丈夫だろうと思ったきっかけは、浴衣浚い会で、右足と左足を完全に間違えてしまったのに、見ているお客様からは間違えたことが分からない程に堂々と、そこから軌道修正して踊りきったことだったそうです。

それはそれとして、決して短くない期間浄瑠璃の稽古を続け、その一番最初の曲すらも間違いなく語り切れなかったということは、お釈迦様の手の上をぐるぐる回るだけで、結局全く先に進んでいなかった孫悟空の様な心境です。

実際にその演奏を聞いたお客様からは、「綺麗な声でしたね。」などと肯定的な感想が多かったのですが、上手くいかなかったことは自分自身が一番分かっています。

結局、初心に戻ったというつもりになっても、気付かされるのは、戻るどころか、名前があろうが何であろうと、初心の状態から先に進んでいなかったということです。

そのことに気付けただけでも、今回の会に出演出来て、本当に良かったです。

次回は、「完全否定」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。

2014/03/23 01:10 | sakai | No Comments