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石垣島の畑にはヨモギが自生しており、取っても取っても生えて来る。このヨモギの良い利用法、何かないだろうか・・・と、遊びでよく蒸留実験をしています。
その香りでおぼろげに思い出すのは、祖母です。おそらく私は幼少の頃より、札幌の祖母の庭で、ミントなどのハーブに触れていたのだろうと思います。小学生のころには、ポプリの調合を趣味としていたくらいですから・・・。
祖母は北海道北見の出身です。いわゆるオホーツク海の沿岸。すぐそこが樺太や北方領土です。北見はむかし、ハッカ油の生産で栄えたエリアでした。祖母の家も農家だったと聞いているので、きっとハッカとは切っても切れない縁だったのではと想像されます。
ハッカとは、いわゆるミントのことです。ペパーミントのような香りの和種ハッカが、北見の一大産業でした。よくむかし、ハッカ飴など食べませんでした? 虫さされにハッカ油を塗ったり。
大人になってから何度かこの地域を車で廻って旅をし、よく祖母の妹さんを訪ねました。果てしなく続く大地。果てしなく続く畑。それ以外何もないところだけど、そこはにむかし、世界最大のハッカ油の蒸留所があった。大正から1960年くらいまでの話です。合成香料の出現によりやがて、北見のハッカ産業は衰退していきました。
いま思えば私の祖母は、農家の出とは思えないくらい、とてもハイカラで、発想が突飛な女性でした。
祖母の庭にはナスタチュームが植えてありました。ナスタチュームはハーブの一種で、オレンジ色の食べられる花を咲かせます。祖母はそれを華やかにサラダに添えていました。夏に遊びに行くと、大人にはメロンにウィスキーをかけて、子どもにはフルーツパンチを振る舞っていました。そして秋には葡萄の棚から、葡萄の取り放題・・・
大正の人なのに、農家の出身なのに、なんてハイカラなんだろうと思います。北見のハッカ全盛時代に、ミント畑であの香りを嗅いで育ったからではないかしら? なんてのは私の勝手な想像ですが。
北見とミントは、香りがその地域の産業を変えた一例ですが、なんと香りが日本の歴史を変えた例もあります。樟脳です。樟脳はクスノキから蒸留して採取したもので、むかしタンスの中に入れて虫除けとして使われていました。
薩摩藩は藩主導で樟脳を生産し、オランダVOC経由でヨーロッパに輸出し、莫大な富を得ました。そのお金で、軍艦や兵器を買ったのです。その武力により大政奉還が実現した流れは、みなさんよくご存知のことと思います。樟脳も同じく、合成香料の出現で衰退の途をたどってしまいましたが・・・。
香りがこのように、その地域の産業となる。象徴となる。そうあって欲しいと思うし、じぶんもなにか貢献できないだろうかとよく考えてます。
参考:北見ハッカ通商
蒸溜方法など、とてもマニアックな記述があります。その道の方、必見!
http://www.hakka.be/