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インドのニューデリーから電車で半日ほど行ったところに、カンナウジという村があります。インドの伝統的な香油づくりが行われているところです。
そこに来週行って来ます。
昨年の11月でしたか、インドのある女性からメールが来ました。
「私の祖父は、カンナウジの香油工房のパフューマーでした。昨今の近代化により、インドの伝統である香油づくりが消えつつあります。ぜひ一緒にプロジェクトをできないでしょうか?」
こんなふうに突然メールが舞い込む。世界のどこの誰ともわからない人から。そこから始まるプロジェクトが私の場合は大半を占めます。
私は興味を持ち、助成金を探しました。まずは訪れて、その香油作りを学び、私なりにそれを引き継ぐ形でなにか貢献的なプロジェクトができるかどうかの判断をしたいと思いました。
ヨーロッパの助成金文化も衰退し、果たしてこんな調査目的のプロジェクトにお金を取れるかどうか、確信はまったくありませんでした。でも、いつもながら運の良い私です。タイミング良く目的に適した助成金が見つかり、12月にはGOサインをもらうことになりました。
そこから彼女と一緒に旅の計画をして、いよいよ来週となってきたわけです。夢のような話です。
ずいぶん昔になりますが、2008年でしたか、ポーラ美術振興財団からありがたく助成をいただき、南フランスの香水の街・グラースの調香師養成コースに通ったことがあります。
グラースといえば、香水づくりの世界的なメッカともいえます。中世に鞣し(なめし)革産業が発達した街ですが、革の臭みを消すために、身近に生えていたローズやジャスミンなどから香りを抽出したのがその始まり。
グラースに発達した香水産業は、近代化とともに、労働力の安いエジプトに輸出されてしまいました。しかしグラースは「香水の街」というイメージで売り出し、現在は観光産業で街が成り立っています。
グラースのもたらした「香水」は、近代香水でした。空港の免税店などで見られる香水がこの範疇です。いわゆるアルコール・ベースであり、天然香料と合成香料がバランス良く使われています。
しかし近代香水は、ファッション産業に取り込まれてしまいました。いわゆるシャネルやジヴァンシーなどのブランドがそのイメージ作りの一環として、調香師や香水産業を囲い込んだのです。これも一種のパトロネージと見る事もできますが、香りがファッション・アイコンに乗っ取られてしまった。つまり「俺はやっぱりジヴァンシーの香水だぜ」みたいな、香りから選ぶのではなく、ブランド・イメージから選ぶ、といった現象が起きてしまったのです。
日本で「香水」といえば、この「ファッション香水」ですよね。フランスにルーツを持つ、アルコール・ベースの香水です。
しかしですね。フランスに行ってわかったことなのですが、そもそもシャネルの香水などは、あちらのカラッとした気候と空気感に合わせて作られているのです。日本でつけてるのと、あちらでつけてるのとでは、香りの立ち方がまったく違います。
そもそも高温多湿な日本には、アルコール・ベースの香水は合いません。つけてもすぐに消えてしまうからです。インドでは、アッターという、オイル・ベースのものが愛用されています。いわゆる「香油」。オイルの蒸発速度はアルコールより遅いので、日本にもこの方が合ってると思うのですがいかがでしょうか。
視野を広く持つと、世界各地の香りの嗜み方があります。それらは近代香水に侵略されつつありますが、その伝統がまだかろうじて生き残っているところもあります。日本のお香文化のように。
調べると、インドでは「土」を蒸留して香水を作っているとか・・・今回は特にその技法を学びたいと思ってます。土は、その土地その土地で違う香りがします。土を原材料にしてその土地の香油を作ったら、おもしろいんじゃないかなあ・・・と。
試しに先週、石垣島で土を蒸留してみました。まず、サザエみたいな潮の香り。そして黴臭い奥にはうま味というか、野菜の土臭さが見え隠れします。そう、ジャガイモみたいな香り! ちょっとクサすぎて、これのどこをどうしたら日常的に使える「香油」になるのでしょうか。そのマジックをインドから学んできます。
そんな今日この頃です。帰って来たらまたご報告しますね。
maki