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2004年からスタートした、難病患者さん支援ボランティア組織、
「京都サポートハウス」ですが、いよいよ10年目を迎えます。
簡単ではありますが、今までご支援を頂いた皆さんへ
心からお礼を申し上げます。
今日はそのご報告と一緒に、病気の家族を抱え大変困難な状況にある方の、
心の中を少しですがお話をさせてください。
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タイトルにある、嫉妬とは、仏教的な意味合いで行くと「煩悩」のひとつなのかも知れません。
ただ、平素は嫉妬と言っても、「ああ、羨ましい」程度の話なので、
当の本人も、嫉妬していたことすら忘れているものです。
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サポートハウス(*画面右にあるカテゴリー「TOP」参照)は、
マクドナルドハウスをはじめ、いわゆる集合住宅の形のところと、
私が責任者を務めている京都サポートハウスのように、
一つひとつのハウスを別々に用意しているものもあります。
それぞれのメリットデメリットを紹介は、今回は割愛しますが、
私がなぜハウスを個別に用意しているのかをお話します。
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ハウスが離れていると、全体の管理や清掃などが大変です。
ハウスとハウスの間を移動せねばなりませんからね。
集合住宅なら移動する距離はしれています。
だけど、私は集合住宅にはしません。
なぜならば、利用者さん同士の関係で何かとトラブルが発生する場合があるからです。
特に私が精神面で重視しているのが、「嫉妬」であります。
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自分の家族、とくに子どもが患者の場合、親の心中は、穏やかなものではありません。
大部屋の場合は、特にそう。自分の子どもの体調が悪くなる一方で、
同じ病気の隣のベッドにいる他所の子が、回復しているときは、
とても辛く、嫉妬に良く似た心境になるものです。
「どうして我が子は良くならないのか」
私は、長男が入院しているとき、調理室で自身の夕食を用意していましたが、
ここで知り合ったご家族との会話が苦痛でした。
相手に何か非があるわけではありませんが、我が子が脳死状態で、
一方同年齢の子どもさんを看病しているお母さんのウキウキした様子は
私の神経を逆撫でするものでした。
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ハウスでも病室と同様な事案が発生する可能性があるのが、集合住宅の欠点です。
本来ハウスは、心休めることを目的の一つにしていますが、
ハウスを利用することが苦痛になる可能性があるのです。
その原因が「嫉妬」であります。
病院にいる患者さんが、皆それぞれ快方にむかっているなら何の問題も無いのですが、
そういうわけにはいきません。
看病するとき、お見舞いにゆくときは、周りに十分な配慮が必要です。
ハウスの運営についても、そういう配慮ができないと、「泊めてあげている」だけで、何の値打ちもありません。
ハウスの運営を始めて10年目になりますが、まだまだ至らない自分を恥じ入るばかりであります。
しかし、多くの利用者さんから大きな感謝の気持ちを頂き、この事実が心の支えになっています。
「我が子の死を無駄にしたくない」という想いから始めたサポートハウス運営ですが、
これからも、初心を忘れず、患者さんとそのご家族に寄り添いながら活動をすすめたいと思います。
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