« ファミリーカー?購入 | Home | 声優的確定申告嫌相当面倒臭 »
久しぶりにクラシック界があまり好ましくない、大きな話題で世間を騒がす事になりました。
「被爆2世」「耳の聞こえない全聾の作曲家」「現代のベートーヴェン」としてメディアに大きく取り上げられ、「交響曲第1番-HIROSHIMA-」のCDが18万枚というクラシック界では異例の大ヒットとなった佐村河内守氏。実は彼は楽譜を書く事も出来ず、耳も聞こえていたと告発を受けたのです。告発者は18年間、佐村河内氏の代わりに作曲していた某音大講師のN氏でした。
念のためこの問題と僕の関係性を整理しておくと、まず僕はこの両者とお会いした事も無ければお話した事もありません。ただ「交響曲第1番-HIROSHIMA-」のレコーディングには演奏者として参加しており、4月にもこの曲を演奏する予定があった、という程度。4月の公演中止により数日間の仕事を失い、キャンセル料金が発生しなかった事も考えると、被害者という表現は大げさにせよ、関係者の一部という立場にはなるかと思います。僕よりも遥かに文章能力が高く、音楽的な知識・経験が豊富で、社会的地位のある方々が既に多くの意見を発表されているなか、僕のようにもともと語彙も少なく稚拙な文章表現能力しか持ち合わせていない人間が何か意見を述べるのは大変恥ずかしいのですが、一歩退いて冷ややかにこの騒動を見ている関係者を見るほどに、少なくとも自分はこの交響曲の演奏に携わったクラシック音楽関係者として、多少なりとも現在考えている事を説明するべきだと判断しました。
僕は「興味のない人にもクラシックを身近に感じて貰いたい」「自分の演奏記録を残しておきたい」という2点の目的からブログを書いていましたが、正直なところ、僕のようなフリー奏者は、関わった演奏会について手厳しい意見を書いたりすると依頼が無くなり仕事を失う可能性がありますから、過剰に褒めちぎって楽団に媚びを売るような事はせず、かつ自身の演奏活動記録としてブログに記録を残す作業を維持するため「感動した演奏会は記録に残すが、特に得るものが無かった場合、またソリストや指揮者が個人的に好ましくなかった場合などは一切触れない」というスタンスを貫いています。それでも最近は仕事量が増えるほどにそれらを失うリスクを恐れて公の場に書き辛くなったり、よく文章を読まず意図を理解もせずに突っ掛かってくるような人たちへの対処が面倒くさくなったりして、友人への限定公開にしているSNSへの投稿が中心になり、ブログはほとんど更新出来ていませんが、それでも何かしら心に残った演奏会などは記録しています。
で、いまこの時期に何を書いても後出しに取られるとは思いますが、この交響曲について、演奏した僕がその当時どう感じていたかを探る手段として、上記のスタンスで書いているブログが参考になると思います。この時期の記事を読み返してみると、録音の事には触れてすらいません。Facebookにも何も書いていませんし、唯一Twitterで「録音中に地震。とりあえず最後まで弾いたものの、反響板の揺れかたが恐ろしかった……」と、何らかの録音に参加していた事が分かる程度の呟きしか残していないのです。この事実からも、僕が何ら感銘を受けなかった事は理解して頂けると思います。
結局、自身が参加したにも関わらずこのCDを持ってもいませんし聞いた事もありません。依頼されたお仕事ですからきちんと準備をして全力で演奏しましたが、特筆するような感動は得ていませんでしたし「難しいなあ」と思った程度でした。同様に、佐村河内氏の特集を組んだNHK、TBSの番組も見ていません。被爆2世だろうが、書いている曲に魅力を感じなかったから本人の人生にも興味が無かったのです。ちなみにこれは交響曲に対する感想で、ソチ五輪絡みで話題の「ヴァイオリンの為のソナチネ」については綺麗な曲だと好感を持っていますから、全てを否定するものではありません。
ですから、純粋に交響曲に感動した人についても否定する気はありませんし、また佐村河内氏の人生を重ね合わせてストーリーとして聞く事で感動を得た人が居たって良いとも思っています。演奏する我々だって、作曲者の人生を調べ音楽を表現する手段、材料として参考にします。僕だって特定の曲を聞く事で大学時代の恋愛や、留学した時代の思い出に浸る事があります。単純に音だけを聴くのも、何かしらストーリーを重ね合わせて聴くのも音楽だと思います。そして、少なからず感動した人はその感性を恥じたり意見を覆したりせず、大切にして頂きたいと思います。僕も昔はバッハが退屈だと思っていた時代がありましたが今では大好きですし、モーツァルトやブラームスの曲の受け取り方だって十人十色なのです。
そう考えたら、「違う人物が書いた曲だから」という理由でCDやチケット代金の返還を求めるのも難しい問題ですね。曲を良いと思って購入したのか、彼のサブストーリーに感動したのか、或いは世間の話題に乗っかったのか。いずれにせよ、お勉強代として収めておくのが無難ではないかと思いますが。
それから、業界と世間に認識のズレがあると思ったのが「耳が聞こえない状態で作曲をする」という作業に対する考え方。音大などで多少なりとも音楽をかじっていれば「絶対音感があり、ピアノを演奏し、和声や作曲法を学んだ経験もあり、まして《最近まで耳が聴こえていたのであれば》作曲する作業は簡単ではないにせよ、感動するほど困難な事ではない」と感じたのではないかと思います。耳が聞こえなくなると持っていた音感にどのような影響があるのか専門的な知識が無いのでなんとも言えませんが、少なくとも僕はそう思っていました。ただ、作品が爆発的に売れた事で、それらを指摘して興醒めさせるのも・・・という思いもあり表だって意見する人が少なかったのかもしれませんし、そもそも業界における僕の周辺では彼の生い立ち、彼の作品に対する興味そのものが薄かったような印象でした。
さて、事件発覚後、僕のSNSのタイムラインは、音楽家の友人知人によるゴーストライターN氏について庇い、励ますコメントで埋め尽くされました。中にはマスコミの的外れでおかしな質問も介在するなか、誠実な回答を繰り返すあの告発記者会見を見ただけでも、彼の実直で飾らない性格は十分に伝わってきましたが、周囲のコメントを見るほどに「なぜこんな事に足を突っ込んでしまったんだろう」との思いを強くしました。もちろん、N氏が代役を務めたのは事実ですが、だからといって善意を利用され事件に巻き込まれてしまった彼を責める気になれないのが、今の僕の気持ちです。
あくまでも噂レベルですが、先生が弟子に書かせた作品を自らの名前で発表するという事も昔はよくあったようですし、ポップスの世界では楽譜を読めないアーティストが鼻歌を元に楽譜を書いてもらうといった作業は日常茶飯事だと聞きます(この場合、作曲者名がどのような扱いになっているかまでは知りませんが)。過去のクラシックの大作曲家ですら偽作がいくつも判明している訳で、ポップス業界を含めゴーストライターの存在について音楽家はそこまで驚いていないと思います。但し、真摯に曲を生み出す作業に没頭している作曲家を僕は何人も知っていますし、これをきっかけに「ゴーストライターが横行している」と取られるのは心外ですが。話が逸れましたが、友人知人の意見を見るにつけ、N氏には本来の道で、自身の持つ能力を発揮して、これからもぜひ音楽に携わって頂き、素晴らしい作品を生み出して頂きたいと思っています。
彼のドキュメンタリーを報道してきたメディアにも非難の声が出ています。これも番組を見ていないので何とも言えませんが、「これは売れる、数字が取れる」と飛びつくテレビ局の気持ちは分からないでもありません。TBSの特集では、タレントさんが佐村河内氏の背後から話しかけ、聞こえていないはずの氏が即座に回答するという不自然極まりない映像が放送されたにも関わらず、編集時、放送当時は視聴者も含め誰も気づかなかった訳ですし、スタッフも視聴者も、彼の作りだした「雰囲気」に呑まれ、騙されていたのかもしれません。密着時に佐村河内氏の持つ怪しさに疑問点を抱いたとしても、よほど冷静に、穿った見方を出来る人物が居ないと突っ込めないでしょうし、今の日本のメディアにそんな技量があるとは思えません。「全てが嘘だと知りながら」特集を組んだならともかく、「密着取材で気づかなかったのか」という批判はメディアに対する過剰すぎる期待だと思います。
ちょうど開催中のソチ五輪、渦中の曲を使用するフィギュアスケートの高橋大輔選手については、何ともコメントのしようがありません。発表のタイミングがベストだったのかどうか、僕には正直分かりませんが、N氏の「五輪で曲が使用されて佐村河内の名前が世界に広まる前に」という判断は正しかったのだろうと思いますし、きっと氏も思いつめられた限界のタイミングだったのだろうと推測し、これで良かったのだろうと考えるしかありません。高橋選手には、五輪でベストの滑りを見せて頂きたいですし、素晴らしい結果に繋がるよう心から応援するばかりです。
渦中の佐村河内氏は雲隠れしたまま公の場に姿を現していないので、まだ全ての真実がハッキリした訳ではありませんが、誤解を恐れずに言えば、ほとんど全てが嘘だったと分かったいま、その過剰なまでのセルフプロデュース力、大観衆の拍手喝采に応える図太い精神力にむしろ驚きを隠せません。ただ、もし「耳が聞こえない」のが嘘だったとするなら、障害者を利用した悪質な詐欺行為ですし、障害者手帳取得の経緯は徹底的に洗われるべきでしょうし、何よりご本人が一刻も早く公の場で会見をし、法に導かれるべきでしょう。僕からすれば、この騒動は、佐村河内氏が法の裁きを受ける事で収束するべきもので、彼が世に出るにあたり力を貸した周囲の人間は、多少の責任を感じ反省する事はあっても、そこまで周囲から叩かれるべき事ではない、と捉えています。
余談になりますが、この「偽ベートーヴェン騒動」が発覚した日、僕は奇しくも本物の?ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」のリハーサル日でした。運命を演奏しながら僕は「やはり良い曲だなあ」と感じましたし、これが例えベートーヴェン以外の誰か書いたものだとしても評価は変わらないでしょう。N氏の記者会見の2日後に行われた演奏会本番では、45年ぶりの記録的な大雪にも関わらずご来場頂いたお客様の拍手を受けながら、改めて音楽の素晴らしさについて考えさせられました。
そして、あまり好ましくない話題を振り撒いたクラシック界ですが、今回の騒動を一つ反省材料として真摯に音楽に向かいつつ、不謹慎な言い回しになるかもしれませんが、良くも悪くも世間の注目を集めたいまだからこそ、この騒動を利用するくらいの逞しさで、演奏会場に足を運んでもらう企画・努力を続けていければ良いのではないでしょうか。これからも僕は音楽を愛し続け職業としていきますし、このような騒動によって大好きな音楽の世界が誤解と偏見に包まれる事が怖く悲しいですし、もっと多くの方々に、多くの素晴らしい作品の存在を知ってもらいたいと思っています。この騒動に興味を持たれた方は、ぜひ一度クラシックの演奏会場に足を運んでみてください。そこにはきっと日常から離れた一種夢のような空間があると僕は思っています。