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理由もわからない焦り、怯えに打たれながら
零れてしまうくらいの、たったひとつの衝動に駆られて.
2014年某月 19時31分.
気持ちを一つ、「今まで通り」から少し外れた方向へ向ける.
まだ今なら…という気持ちがよぎる.
20時13分.
でもその葛藤と移ろいそのものが
何かを形作ろうとしていると感じてもいて.
その眼はたぶん、今まで自分が
埒外にしていたままだったものへ
向けられようとしている.
離れなくなる
離れられなくなる
その瞬間は一瞬」
彼女はそう後に綴る.
いつもと同じ、いつだって始まりは絶望から
だけどその上で出て来る「希望」という言葉を
ずいぶん久しぶりに聞いた気がした.
時刻は21時2分.
「強い衝動」
前にも書いたけれど、いつ、どんな撮影でも
初顔合わせからの最初の撮影というのは
この結びつきが何処へ繋がっていくのか、
ひとつの分水嶺というか、そういう位置を占めていて
僕の場合そのほとんどが例えば個展で、
またブログなどで僕が撮る、創る作品というものを
ある程度知って掴んでいる方から..ということがほとんどで.
だから細かな打ち合わせもそこそこ
作為云々抜きの現場で感じたり交わされたりする「衝動」が
その後の作品の行く末を決めるものだったりします.
そこでのファーストショットがその何年か後に
深く、大きな意味を持って現れることが
実際にあることを僕は知っているし
その「強い衝動」が今までこうだと決めつけていたり
いつの間にか諦めてたりしていたものを
突き動かしたりすることが出来たりもする.
それは撮られる側だけのものではなくて
撮る側にいる僕に「想い」というものの線の上で
今そこで撮っているのだと、あらためて緊張感を伴って
突き刺さってくるもので、さらにもっと…
やがてそれを観る側の誰かの心をも
揺り動かしたりするものにもなり得たりする.
それは何かがカタチになろうとする初期段階、ステージ1の
ある衝動に駆られて…の中のほんの数時間の
撮る撮られる、なのかもしれないけれど
人ひとりのその「衝動」.
それは自身の焦慮や不安、怯えのような
危うくて絶望に近いところから端を発したものが
いつか自制や制御を越え、かけ離れながら
あらゆる方向へ、誰も予測出来ないものへと
裾野を広げて行くものになることでもあって.
そしてその強い想いに支えられて結実したものが
一つの意味をもって立ち現れるときが来る.
そのとき、かつて感じていた
どうしようもない焦慮と怯懦は
とっくに突き破られているのだと
感じられるのかもしれない.
そういう場所でそれを維持することは
また別の次元のチカラを要するものだけど
今はただ最初の「衝動」…
それをこそ大事にすべきだとも思います.
「衝動に駆られて」からほんの数時間.
今回あえて時系列で追いかけつつ
掲載してみました.