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地球の舳先から vol.306
ミャンマー編 vol.4
景色を見たかったが眠気が限界だった。ホテルに着いたと運転手に起こされる。
ヤンゴンとはうって変わって、どこぞのヨーロッパの中級ホテルのように隅々まで磨き上げられ、洗練されたホスピタリティのホテル・ヤダナボン。
昼寝をしようか、とも思ったが、そんなことをしては時差ぼけが始まる。
お腹もすいていたし街を歩くことにした。
繁盛しているカレー屋さんに入り、初めてのミャンマーカレーにありつく。
ミャンマーカレーは便宜上カレーと呼ばれているだけで(なんの便宜だろうか)、
実際には「油煮」だと地球の歩き方に書いてあったがその意味を知る。
香辛料で具を煮込み、その具の味がたっぷり出た「油」で、ごはんをたくさん食べるのがミャンマー流カレー。かくしてわたしの頼んだ「エビカレー」はしょうゆ皿ほどの皿に、味の出切ったエビの殻と「油」であった。
が、ただの油と侮ることなかれ。これが、複雑な香辛料の旨みも手伝って絶品なのである。
この油だけで、山盛りに盛られたご飯が2杯いけてしまった。
ちなみに食堂にビールはなかった。「ラッシー?」といわれたが、入国2日目で水道水を飲む勇気はない。
マンダレーの中心は、一辺3キロある王宮で、
鉄道駅のあるメインストリートから少し離れると庶民の生活が横たわっている。
腹ごしらえも終え、食後の一杯を探しながら歩くもバーやカフェのようなものは見当たらない。
そればかりか、タクシーがいないし、バス停も見当たらない。
歩く道は非常にのどかだが、そもそもそんな行動は想定されていないのか歩道がない。
観光地とは程遠い、しかし車道だけがアグレッシブに整備された碁盤目状の街だった。
わたしの目指した先は10キロ弱ほど先の「マンダレーヒル」だったが、このままだと
全行程歩く羽目になるのではなかろうか。そんな不安に駆られる。
王宮の東側には僧院や寺におさめる調度品などを作る工場が立ち並ぶ。
流しのタクシーが声をかけてくれるのを待ち続けながら歩くが、
行き交う車は皆クラクションを鳴らすくせに振り返ると全員でニコニコ手を振って来るとかで
まるで役に立たない。そうこうしているうちにマンダレーヒルに着いてしまった。
(捕われた鳥を放してやることは「放出」という徳を積むことになるらしく、それを商売にしている子ども。逃がした鳥はまた捕まえにいくらしいが・・・)
「天空寺院」と称されるものの、頂上が見えないのでゴールイメージが沸かないまま、
その丘を靴と靴下を脱いで(ミャンマー流の礼儀)上がっていく。
頂上まで1時間ほどの道のりは、屋根のある参堂。
涼しくて快適で、所々に絵画や巨大仏像などの見所もあり飽きない。
屋台も出ている。息を切らしてくると「ウォーター?」などと言ってくるので涼しい顔で見栄を張る。
すれ違う片手で数えるほどの参拝者は皆現地の人。
途中には何屋なのかわからない、一家が住む小屋のようなものも沢山あった。
僧侶がなにごとか計算ごとをするらしい執務机が設置されたちいさなコーナーに
飾られていた壁掛けカレンダーはスーチー女史だった。変化の自由を垣間見る。
静かに佇み、素足のため自分の足音もせず、静謐な空気が漂って美しい。
最後に、クラクラ来るほどの急な階段を上り頂上へ出る。
子どもが走り回り、隅々まで絶えず清掃をしている人たちがいる。
確かにマンダレーの町を見下ろす自然豊かな丘は美しかった。
涼風に打たれて澄んだ気持ちになっていた頃、欧米人団体観光客が夕焼けを見ようと
邪道にもエレベーターで大量に上がってきた。あれでは徳は積めないだろう。
静かな参道が気に入ったので、帰りも歩いて下りた。
今度は、参道入り口に待機していたバイクタクシーに乗ってホテル近くまで戻る。
運転手は陽気な人で、いい夕陽スポットがあると連れて行ってくれた。
王宮とそれを取り囲むお濠に沈む夕焼け。運転手は満面のドヤ顔だった。
都合、トータル20キロ歩いたらしいこの日、ようやくホテルへの帰り道で
ビアホールらしきものを見つけた。半屋外だが贅沢は言うまい。
子どもがひどく楽しそうに嬉々として働いていた。
手を上げると我先へとすっ飛んでくる。
60円の生ビールにようやくとありつき、いい気分でホテルへ帰ったのだった。
つづく