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ついこのあいだJunkStageさんの「ライターへの手紙」を読ませていただいて
自分のいっちょ前になったという感じは
「果たしていつだろうか」と考えるようになったら
本当に気になってしまって
結局自分の成人感覚は 何なのかしらんということになって
そしたら次は どうしてそう感じたのか
今回は思い出してみることになった
私の社会人への入り口としては
自分でお金をつかみとりたいという 猛烈な欲があるわけで
独立して芸のほうへいけるのかどうか
とりあえず 一般的に社会人参加は 銀行員からという形になったから
履歴書的には 社会へ出ると 社会人なので こういうことを思い出すのね
商業高校卒業後 就職した北海道拓殖銀行の
東京日本橋にある 大きな建物で入社式をした
高卒と短大 大卒が入り混じった活気があふれる会場をおぼえている
ドラマ「半沢直樹」で 同期の行員がたくさんいたけれど
「拓銀」行員は あの10分の1くらいだったか…
さて 大人というのを実感したのは どの時期だったか考えてみた
就職した時?
いや …私を雇うなんて 余裕のある会社があるんだなあ
最初の給料をもらった時?
もう給料袋はなかったので
小さいヘラヘラする 数字の書いた紙を受け取ったし
あいにくその時のプリンターには たっぷりインクがついていなかったので
ずいぶん うすい金額だったから なお更
なんだか 見ていて寒かった …違う…
両親に給料からお金をあげた時?
泣かれて面倒だったので 「これからは黙って銀行口座にいれよう」
…これは むしろS度が上がって自意識過剰気味の大人子ども…
そう 私が一人前を実感できたのは これから遅れること8年…
その間の状況変化には この3つの説明が必要だけども
1 銀行を「一身上の都合により退職」
2 数年の芸界見習いを経て 曲独楽師 三代目 三増紋也師に入門
3 それから一人で舞台をこなせるようになり 三増巳也襲名…
そして その瞬間は突然やってきた
まず読者の方には
面倒くさいでしょうが
イメージしていただくことを お願いしたいのです
さて もったいぶって 始めましょう
東京の真ん中には何があるだろう?
あんまり話されないけれど
ほぼ中心の緑豊かな場所は 元 江戸城…
つまり 今の 皇居ですね
そこは
地名で言うと
東京都千代田区隼町
その正面(わたしたち芸人には正面です)
そこにあるのは 歌舞伎を国の芸能であると認めた「国立劇場」
そして 国の芸であると認めたから 「国立演芸場」がありますのよ
その国立演芸場という 寄席の舞台が
私のこの感覚の肝で
その芯にあたる経験は
あるおばあちゃんのひとこと
ある日
私がいつもどおり 寄席の舞台で コマの曲芸を演じていて
そのときの演目は 細い3メートルほどの糸に コマを渡していく芸 「糸渡り…あるいは綱渡り」
お客様の席の近くまで寄って コマをお見せするのが 私の楽しみなのですが
演じ終わった時 ひときわ大きな拍手をしてくださる方がいて
それが そのおばあちゃんだった
そのおばあちゃんは 「私いつも あなたが出るのを調べて来てるのよ」
頭をガンと殴られたような
芸人生活初の おっかけファンの登場だった
ほんとうにほんとうに
どなたがどこで みてくださっているのか わからないもんで
そのときこそ 私が感動したことはなかったのです
一人前になった~と
そういう瞬間でした
さて 驚きはまた 続きました
それからしばらくして 今度は 忘れもしない 上野鈴本演芸場での夜席でのこと
その方は
私が投げコマを済ませたのを見計らったように走り寄っていらしたから
ああ 酔ってらっしゃるな
そう思ったのですが
違いました
「コマの芸というものを見て こんなに興奮したことはありません 握手してください
私は秋田県から来ています」
いろんなことがあるもので
こういうふうに お客様が 芸人を作ってくださっているのです
どうか ひとりひとり 表現するものを もっと 楽しんでいただきたいですね