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地球の舳先から vol.303
ミャンマー編 vol.1
・・・なんだろ、どこだろ、ここ。
そう思うことが、何度もあった。
わたしは基本的に、丸腰で海外へ行くことをしない。
いくつかの国を周遊するということも9割がたしない。
ひとつの国にターゲットを絞り、日本語で書かれている、図書館にあるような本には目を通す。
そのような「予習」は、いっぺんに何か国ぶんもできないからだ。
頭でっかちになってよくない、という人もいると思う。
けれど、わたしにとっての旅は、本を読む→足で歩く→頭で考えて書く、の3段階で完結する。
今回のミャンマー旅行ほど、事前のイメージと実際がまるで重ならない国もなかった。
もちろん、テレビで見たあのまんま、の北朝鮮のような国もそれはそれで衝撃なのだが。
「最後のフロンティア」? ・・・違う。
「ASEAN最注目の急新興国家」? ・・・違う。
「アウンサンスーチーさんが軟禁を繰り返されている危ない国」? ・・・違う。
「日本人ジャーナリストも殺害された軍政国」? ・・・違う。
いや、どれも一側面からはたしかに「事実」なのだろう。
しかしこの国を歩いてみると、受けるイメージとは乖離がありすぎる。
わたしは旅をしながら、この地が「ミャンマー」であることがしっくりこなかったし、
じゃあ「ビルマ」かといえば、「ミャンマー」よりはましだけれどやっぱりしっくりこなかった。
果たして、冒頭の感想である。
安寧の仏教国。
すくなくとも、短期外国人旅行者としてのわたしの目にうつったのはそれだった。
いやな顔ひとつすれば、そんな自分が恥ずかしくなってしまうくらい、
およそ怒ったり争ったりしない人たち。
「神」なる何かに、どんなに祈っても叶わず死んでいった宗教もあれば、
求めることが欲でありいけない、と教える宗教もある。
各地にある日本人慰霊碑を、人目を気にしながら見に行ったとき、
ひざをついて一緒に(というよりわたしよりよっぽど)祈ってくれた僧侶も、
お金も要求せず火をつけた線香をあわてて持ってきたのもミャンマー人だった。
「日本はよくないことをしたのに、なんで?」と聞くと、
「日本の兵隊さんはミャンマーで死にました」と言う。
今回、道中で、情熱大陸でも複数回取り上げられた、ミャンマーで無償医療活動を
長いこと行っている、吉岡秀人医師の病院施設を見学させてもらった。
そこのスタッフが、こんなことを言っていた。
「ミャンマーでは、病院で死ぬことは悪いことなんです。本人にとっても、
病院にとっても。だからできるだけ、お家で死を迎えられるようにします」
戦争で迷惑を被ったにせよ、ミャンマーの地で沢山の人が死んだということは
彼らにとってそれだけで不名誉なことだった、ということなのかもしれない。
さほど望んだわけでもない寺院めぐりを、結果的にすることになりながら
ブータンで、「自分の欲を祈れば、積める徳が半減する」といわれたことを思い出した。
(「罰があたる」ではなく徳は積めることは積めるというのが仏教的でなんともいい)
仕方がないので、世界平和を祈ろうかなどと心の大きいことを考えたが
滅亡したほうがよかろうという国が思い浮かぶほどにはわたしの心はけがれていたので、
この国の、親切なミャンマーの人々の安穏を願った。
こういう国にこそ、どうか幸が降りますように。
ミャンマーへ行くと、すっかり洗脳(言葉が悪い)されて帰ってくる人が多いと聞く。
しかし、まあそうなっても仕方ないだろうな、と思うくらい、とても良いところだったのだ。
いい意味で、ちょっと現代では信じられないようなことが、たくさん起きた。
筆舌に尽くしがたい、経験をした。
がしかし、これから、ゆっくりめに振り返っていきたいと思う。