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2011/11/09

「国政選挙で、あなたの一票は何票ですか?」

なんて質問をされたら、

「はぁ?一票は一票に決まっているだろ?
 日本語を勉強しなおしてこい、このオタンコナス!」

と思われる方も多いのではないでしょうか。
ところがどっこい、日本人の大半の方の一票に、一票の価値はありません
これが最近、とみに話題になっている「一票の格差」問題です。

◆一票の格差とは?◆

現在の日本の選挙(ここでは国政を指します)では、「選挙区」というものがあり、
住民票のある場所で選挙区が別れ、選挙区ごとに候補者・投票者がいます。

日本の選挙区は主に都道府県などの自治体が基本になっているため、人口の偏りが生じます。
例えば有権者の最も多い衆議院千葉県4区の有権者は49万人、最も少ない高知県第3区は21万人。
それでも当選者は同じ1名なので、なんと一票に2.3倍もの差がついています(2009年衆議院選挙に拠る)。

完全に都道府県で選挙区が別れる参議院選挙では、この差はもっと顕著になり、
なんと神奈川県民の一票の重みは、鳥取県民の5分の1しかありません。

「一人一票実現国民会議」をされている升永弁護士によると、
現在の衆議院選挙では全有権者の42%を獲得すれば過半数取れるそうです。
つまり、日本は事実上の「少数決」になっています。これが一票の(質的な)格差です。

◆◆

僕は毎回、口を酸っぱくして「選挙に行け」「参政権は、誰もに保証された平等な権利だ」
と述べていますが、実はその投票権は厳密に言えば平等なものではないのです!
なんてことだー!

当然、これは由々しき問題で、すぐにでも是正されるべきだと思います。
しかしながら、僕が一票の格差是正に求める観点は少し違うかもしれません。

前提として憲法に保証された一票の質が保たれてないことは論外だとは思いますが、
だからと言って「少数者によって物事が決められる!」「政策が歪められている!」
という事態になっているかというと、正直、そうでもないと思います。

しかしながら、一票の格差是正は現在の腐敗政治の作り出している
「選挙制度」「多すぎる国会議員の数」を是正する起爆剤として、大きな意味を持っています。

日本の選挙制度の最大の問題点は、地域ごとに選挙区が分けられる点です。

「地域(自治体)の代表として、地域の意見を国政に届ける云々」

という美辞麗句がその根拠として声高に語れますが、
そもそも国会議員の仕事は広域に渡る国政です。地方のことを行うのは、地方議員です。

その住み分けができないから、地元に高速道路や鉄道を作った政治家が持てはやされ、
国会議員の役割が地方住民の御用聞きに矮小化されていくのです。

百歩譲って高度成長期に地方に力を分散するためなら意味があったかもしれませんが、
今の日本において国会議員が地方を代表する意味はほとんどありません。

なぜこの選挙区の話が一票の格差と結びつくのかというと、
一票の格差を解消するのにベストに近い解決策に一つが、
日本を一つの選挙区として、すべての議席を比例代表制度で争わせることだからです。

政党または政党に所属する個人単位で投票し、得票に応じて当選者数を配分する比例代表制度。
得票数と率に応じて議席を配分する比例代表制度を日本という単位で行えば、
一票の格差という問題は完璧に解消されます。

国会議員も、「全国から政党と政策によって選ばれる議員」になりますから、
地方の御用聞きになり、毎週末は地元にとんぼ返りするという無駄をなくすことができます。

さらにこの制度なら理論上、大幅な国会議員の削減が可能です
やれ選挙区だ、人口の割合だのを既得権益者に口実として与えるから、
どの政党も「8増9減」だの「7増7減」だのと言って国会議員をほとんど減らすことができないのです。

この際思い切って、ばっさり国会議員を半分くらいにしてしまいましょう!
なーにあふれた仕事は、暇そうな顔をしている(失礼)地方議員に権限と一緒にあげればいいのです。
地方分権化も進み、一石三鳥ではないですか。

というわけで比例代表制への統一は

格差の解消、国会議員の削減、地方分権化の促進

という3つの改革につながる一手なのです。
他にも比例代表のメリットとしては、死票が少ない、少数政党が議席を確保しやすいなど
少数者の民意を掬い上げて多様性を担保できることが挙げられます。

反面、「無所属」という出馬方法が失われてしまいますが
政治の世界では本当に無所属の一匹狼ではまず何もできませんし、
今も「無所属」といいながらほとんどの候補者が既存政党に紐づいてる状態ですから、
いっそのこと政党から公認を取らせるフローで候補者の質を上げた方が良いと思います。

ちなみに僕の考え方に最も近いのが『みんなの党』の指針で、この党は

「全国をブロックに分けてすべて比例代表制に統一、衆議院の議席は300人」

という政策を掲げています。
衆議院議員選挙制度改革案「一人一票比例代表制(ブロック単位)」

http://www.your-party.jp/file/press/111021-01a.pdf

選挙活動や投票行動の合理性からブロック分けの導入は現実的ですから、
かなり理想に近い、具体的な改善策と言えるでしょう。

政治を変えるには政治家を変えなければならず、
その政治家を選ぶのが選挙です。

「政治とは、選挙である」

と言い切る政治家もいるほど重要な制度であるにも関わらず、
日本の選挙制度は既に多くの矛盾と老朽化で限界を迎えています。

そして毎回毎回しつこいようですが、その選挙制度を変えるのにすら、
まず我々が現行の選挙に行き、正しい政策を行う政治家と政党を選ばなければならないのですよ!

今は一票の価値がないかもしれなけれど、
正しき未来のために、今ある一票を捧げましょう。ではでは。

12:04 | syun | 今、そこにある格差 -あなたの一票は、何票?- はコメントを受け付けていません
2011/10/27

震災を言い訳にストップしていたTPP参加交渉ですが、
にわかに活気づいてニュースや新聞を賑わしてきました。

昨日の日経朝刊の社説では、農協を始めとする農業関係者の
TPPへの強行な反対を称して、「尊農攘夷」と書いていました。
上手いこといいますね!

TPPは政治・経済の膨大な範囲に渡る問題であり、
各論としては難しい部分もあるのですが、僕はTPP参加交渉に総論では賛成です。

・「小さな政府」思考であること
・グローバリゼーションの波が後退することは、今後100%ないこと

などがその理由ですが、何よりTPPは基本的に若者世代に有利です。

すでにそこそこの地位や暮らしと老後の生活が保証されている既得権益層なら
TPP反対にも利があると思いますが、若者がこれに反対するのはナンセンスでしょう。

少し乱暴なまとめではありますが、規制を撤廃し競争をドライブしていくTPPは
いま何も持たない、野心的な若者たちには特に魅力的なものであると言えます。

しかしながら、本日の本題はこのTPPそのものではなく、
これによって最も影響を受けると言われている農業に突っ込みたいと思います。

皆さんも薄々気づかれていると思いますが、
日本の農業は総体としてははっきり言ってオワコンです。

※オワコン
「終わったコンテンツ」を意味するネットスラング。
正しい用例) 日本のガラケーってもうオワコンだよね。
間違った用例) あいつの頭部はもうオワコンだな。(ハゲって言ってあげよう!)

その最たるが日本の米で、800%(正確には778%)もの関税をかけ、
しかもいわゆる「減反政策」と言われる国家施策で生産量を調整し、
なんとか利益を出して農家を生き長らえさせている状態です。

こんなものが自由主義経済の国に堂々と存在することがおかしいのですが、
農家に自由競争をさせようとすると

「食の安全」
「日本を支えてきた農家をないがしろにする気か」

といった美辞麗句が飛びかい、
強固な既得権益となってその地位を守っています。

確かに貧しい零細農家が多いことは事実ですが、
農家を取りまとめるドン、農協(JA)にはどういうわけか多額のお金が集まるらしく、
永田町に新しく出来たJAビルの豪奢さはめまいと吐き気がするほどです。

「農家が可哀想」とはいっても、可哀想なサラリーマンや商売人だって沢山います。
いま雇用がない失業者や若者だって可哀想です。なぜ農家ばかりが最優先で保護され、
不思議なことにその元締めのJAはあれほどお金と政治的発言力を持っているのでしょう?
僕の常識からは看過できないことばかりです。

とはいえ、TPP急進派のように

「国土の狭い日本は農業には向いていない。
 『比較優位』の考えに基づいて、農作物は輸入に頼るべし!」

という考えも極端でしょう。
日本の農業には、もっと輝かしい役割と未来があると思います。

そう、それがズバリ

今後増え続ける高齢者たちの、新規雇用の受け皿

としての農業です。

これから日本社会が現在の経済水準を維持していくためには、
何度もいうように解雇規制などを緩和して雇用を流動化していくしかありません。

すると、どうなるか。

誤解を恐れず率直に申し上げて、真っ先に仕事を失うのは
給料も高く、英語やITなどのスキルもない50代でしょう。
はっきり言って、高齢者でビジネスの第一線に残れるのはほんの一握りになると思います。

まず、この事実を直視しなければなりません。
(わかっているからこそ、規制が緩和できないわけですが…)

そこで俄然プレゼンス(存在価値)を増すのが、農業です。
現在、農業従事者の平均年齢は60代後半と言われており、
50代で農業を始めればたちまち若手のエースクラスです

もちろん、「農業なんて、歳取ってからでも出来るだろ」
と見くびっているわけではありません。

実際にアーリーリタイアした人々が農業を始める例は多く、
こうした労働力の農業への流入が

「高齢化でもう限界」

と一昔前からずっと言われ続けている農業を
細々と存続させている一因になっているという意見もあるそうです。

そして「企業勤めが終わった後は、自然と生きるために農業をして暮らす」という価値観は
今のスローライフブームにもそれなりマッチングしているのではないでしょうか?(無理がある?)

自由化すれば途端に死滅するかのように言われている農業(米)ですが、
15年前に散々議論して自由化されたオレンジでも、生き残る農家は生き残っています。
結局、創意工夫次第でなんとでもなるのは、農家もビジネスも変わらないのです。

いずれにせよ、今回のTPP問題から農業に見えることは、
「自由化に賛成か否か」ではなく、

・自由化がされる前提で、これからどうしていくか

をいい加減に考えなければ、
遅かれ早かれ農業は死に絶えるだけだということです。

そして同様に、このままではゆっくりと死を待つ経済産業界にも
規制緩和の波が押し寄せてくるでしょう。その時に

企業勤め(或いは経営者でもスポーツ選手でも)

《農業》 ←NEW!

リタイア

というライフプラン・キャリアプランを完成させておく。
これが高齢化社会への一つの理想的な解決策ではないかと、僕は思います。

「今さら芋なんて掘れるかっ!」なんて大人になっちゃダメだぞっ!

次回はTPPそのものについて、もう少し論じてみたいですね。
それではー。

11:53 | syun | 尊農開国 -農業を新しい生き方へ- はコメントを受け付けていません
2011/10/20

震災後の反原発デモから始まり、フジテレビへの反韓流デモやら花王への不買運動デモやら、
最近ではウォール街のデモに触発されて日本でも「格差反対デモ」が起こりました。
2011年は日本のデモ元年なのでしょうか?嫌ですね。

僕もこうしたコラムやTwitterなどで数々の社会に対する提言や改革を叫んではおりますが、
端的に言ってそういったデモの類は大嫌いです。本日はそんな理由を語りましょう。

まずもって日本のデモの参加者たちは、何を思ってデモを行なっているのでしょうか。

一口に「デモ」と言っても、今年中東で巻き起こっているデモと日本のデモではわけが違います。
僕は中東の一部の国でのデモは「全然アリ」だと思っています。

彼らには表現の自由も、民主的に政治に参加する権利もありません。
そんな中でのデモというのは表現の最終手段であり、ある種「決死の覚悟」を伴った政治行動なのです。

翻って日本はどうでしょうか?
僕らには表現の自由もあれば、成人であれば誰でも一人一票という参政権を持っています

社会を変えたいと願うなら、まず真っ当な手段で社会に変化を訴えるべきです。
僕は賭けてもいいですが、デモ参加者の半分以上はロクに選挙にも行ったことがない人たちでしょう。
(そして恐らく本当に生活が困窮している方は、逆にデモになど参加する余裕がありません。)

まあこういうことを書くと、「デモはその権利が憲法で保証された、真っ当な手段です!」
とか言われそうですが、基本的には日本のように国家がまともに機能している国では
デモに参加する時間を労働や勉強に当てた方がよっぽど有意義だと思います。

日本のデモの最大の問題点は

・明確な問題意識がない
・ゆえに明確なイグジット(ゴール、目的)もない

という点につきます。要は、ヴィジョンも覚悟もないんです。だから色んな主張や怪しげな団体が混じる。
ちなみにこれは日本に限った話しではなく、ウォール街のデモも迷走しているようですが。
所詮、先進国の(世界的に見れば)富裕層に位置する人々のお遊びの域を出てないのですね。

特にイグジット(EXIT)を設定せず「反対!反対!」と叫ぶデモでは
自己満足の謗りを免れることはできないでしょう。

自由主義経済や民主的政治が機能している国でのデモ行為の行き着く先は、8月のロンドン暴動です。
デモは一種の「暴力行為」ですから、安易なパフォーマンスは暴動すら巻き起こす可能性があります。
つまり、百害あって一利なし。

ここまで読んでもデモに参加したいという方。

「自分には明確なヴィジョンもイグジットも、覚悟もある!」

という方がいらっしゃるなら、デモを主催されると良いでしょう。
しかしながら、その覚悟が本物であれば、おそらくそのデモで誰かが命を落とします。

それでも、デモをやりますか?

12:29 | syun | アンチデモ宣言 -日本のデモが嫌い- はコメントを受け付けていません
2011/10/11

2012年度予算一般会計概算要求・要望額は98.5兆円、3年連続で過去最大=財務省

http://bit.ly/oRipze

来年度の予算編成が進んでおりますが、ニュースの通り概算要求は膨れ上がる一方です。
多少の調整はされるでしょうが、復興予算もあり、

「新規国債発行額が税収を上回る(=予算の半分以上が借金!)」

という異常なる事態が2年連続で発生することは、ほぼ確実でしょう。
ほんと、民主党はなんのために政権を取ったんでしょうね…。

復興にかかる予算がある程度膨らむことは個人的にやむを得ないと思いますが、この2年の政府(民主党)の予算編成における失敗は、やはり27兆円にものぼる社会保障費を聖域化したことだと思います。

高齢化の進行で医療費を中心に毎年1兆円ずつ自然増していく社会保障費。「命や生活に関わる社会保障には手を出せない」という空気が蔓延する中で、唯一これに切り込んでいったのが小泉・竹中政権でした。

もっとも、彼らとて社会保障費を「削減」したわけではなく、自然増に対して一定の歯止めをかけた(シーリングという)だけなのですが…。

小泉・竹中政権は無尽蔵に増える社会保障費の自然増に対して、「2千億程度で収めなさい、増えるようなら、他の部分を削って調整しなさい!」という通達を(主に厚生労働省に)出すことで、社会保障費の抑制に乗り出しました。

すると、何が起こったか。

弱者に対するツケの偏りです。

もっとも問題視されるべきであり、出費の激しい高齢者医療への改革(自己負担の値上げなど)は行われず、主に歳出削減の対象となったのは「生活保護」「児童福祉」「母子家庭手当て」などでした。

これによりただでさえ生活が苦しい人々の生活が困窮し、社会問題化。小泉・竹中政権の政策が「格差を広げた」「弱者を切り捨てた」と評される一因となり(事実はそう単純ではないのですが…)、「やはり、社会保障費は聖域だ!」という現在のイメージにつながっていったのですね。

ですが、本当にそうなのでしょうか?

確かに、小泉・竹中政権の社会保障費抑制策は成功とは言えませんでした。しかし、予算を抑制する方向性自体はまったく正しいものでしたし、高齢者医療に斬り込むなど適切な対策をとれる余地は大いにあったはずです。

なぜそうならず、弱者にしわ寄せが行く形になったのか。
率直に行ってこれが、政治力の差です。

富裕層や高齢者層は圧倒的な政治力を持っており、彼らに負担増を強いるのは極めて困難です。そもそも高齢者の人口・投票数だけでかなりの政治力と発言力ですし、彼らの利害を代表する団体や政治家は枚挙に暇がありません。

診療報酬の引き下げなども、日本医師会がかなりの政治力を持っていますから、これを断行することも大変な困難が予想されるでしょう。

こういった思惑が交差した結果、結局は財力も票も持たない(=社会的発言力が極めて弱い)

・生活保護者
・児童
・母子家庭生活者

などの社会的弱者に請求書が回っていくことになるのです。

悲しいかな、これが今の社会の現実です。今回の概算請求を見ても、民主党政権がこうした既得権益層、圧力団体たちと闘って社会保障費を抑制しよう、みんなで平等に痛みを分かち合おう、財政を健全化しようなどとカケラも思っていないことは明らかでしょう。

なお、「社会的弱者」の中には当然、投票率が低く発言力が低い20代30代の若者や、そもそも選挙権を持たない将来世代の子どもたちも含まれます。

この国を立て直すのか。それとも、国に頼らない生き方を選択するか。

どちらの道を選ぶにしても、僕たちの未来は決して平易なものではないでしょう。どんな生き方を選ぶにせよ、自己の利益に拘泥し、知らず知らずに弱者を踏みつけて、その上に立つ生活はしたくないものですね。

それはとても難しいことだけれども。。

01:16 | syun | 弱者に請求書が回る社会に、僕達はどう生きるか。 はコメントを受け付けていません
2011/10/02

9月は満足にコラム回数が更新できないうちに終わってしまいました…
なので、ライトな思いつきでも良いから、更新回数を充実させることに今月は挑戦します!(キリッ)

さて、先日は政治に関心のある仲間たちでモーニング勉強会を開き、
「日本中枢の崩壊」(古賀茂明)を輪読して語り合ったのですが。
日本の論点、問題点が沢山ある中で、

福祉政策と経済政策がごっちゃになる

ということが挙げられます。
どういうことかというと、具体的にはやはり雇用です。

日本は「資本主義ではない」と言われますが、
それが『護送船団方式』とも言われる国による産業の保護です。

護送船団方式で産業を守るのも、業界や時代によっては必要な時もありますが、
最近では「潰した方がいいのに企業(や業界)を延命させる」というケースが目立ちます。
その最たるが、原発問題を起こした東電ですが…。

ここにはいつもながら既得権益にしがみつく官僚や政治家という構図もありますが、
会社の存続がダイレクトに雇用・生活という社会保障につながっている側面が大きい

環境が違いすぎるのにあまり例に出すのは好きではないのですが、
フィンランドなどの北欧では、どんな大企業であっても経営が立ち行かなくなれば潰すそうです。
時代に合わない古い企業が退場し、新しいベンチャーが生まれる…こうして国の産業は育って行きます。

ところが日本では、ちょっと大きい企業になるとなかなか潰さない。
特定業界では中小企業でも、何かと理由をつけて補助金を出して延命させます。

なぜなら、その企業がなくなると失業者が一気に溢れ、その雇用を吸収する十分なシステムがないからです。

福祉が充実している北欧を引き合いに出したのは、この点の違いを示すため。
そうした国では失業者に対する福祉が充実していますし、
そこから新しい企業に就職するシステムもある程度整っています。

ところが日本では、失業者に対する「セーフティーネット」が十分ではありません。
失業保険や生活保護などの対策は必要最小限ですし、何より一度倒産によって職を失った人が
また同じくらいの条件で再就職するのが極めて難しいという現実があります。

ゆえに、国としては失業者に対する「雇用の確保」「生活保護」といった福祉的な政策が、
「どういった企業を育てていきたいか」「どの産業を成長させ、引いては国の生産効率を上げていくか」
という経済政策に絡んできてしまうため、思い切った経済政策(規制緩和や自由競争など)が打てなくなっています。

昨今話題の増税を防ぐためには、経済成長をして税収を増やすしかありません。
しかし、そのために大胆な経済政策を取るために、福祉政策が足を引っ張っている…

こうした「足かせ」を外さない限り、資本主義グローバリズムのこれからの世界で
日本が成長してくのは極めて難しいと言わざる得ないでしょう。

じゃーどうしよう??

北欧のように福祉政策を充実させる?
いや、それには財源がまったくありませんし、何より実施まで膨大な時間がかかるでしょう。
(その頃には日本はとっくに財政破綻して消滅していると思います)

比較的すぐにできる解決策としては、やはり「解雇規制の撤廃(労働史上の流動化)」です。
(あくまで「比較的」ですが…やらなきゃ日本は沈没しますからね!)

企業が潰れたりとある産業が衰退しても、技術や経験のある人間は別の仕事を見つけられる…
そうした状態が確保できれば、わざわざゾンビ企業を生き残らせる理由はなくなるはずです。

そのためには、過剰に守られた現在の雇用基準を見直すこと。
特に若者は、雇用が流動化した方が圧倒的にチャンスが広がります。

規制を緩和し、競争をドライブできる若い政治家を、どんどん国政に送り込んでいきましょう!
ではではー。

10:28 | syun | 福祉政策と経済政策を切り離せ! はコメントを受け付けていません
2011/09/21

冒頭から重大発表ですが、なんと今日は僕の28歳の誕生日でーす!おめでとー!ほぅら、台風が僕のバースデーを祝福してくれているよ。参院選の被選挙権を得るまであと2年だNE!

…さて、皆さまからの冷たい目線を感じたところで、誕生日の夜に一人でコラムを書いているオトキタです。こんばんは。天気が悪かったんだよ!←

さて、宣言通り今日は前回の給料問題に引き続き、

国会議員の数は本当に多いのか?

という争点をかなり個人的な視点でぶった切っていきたいと思います。一般的に、「日本の国会議員は多すぎるっ!」と思っている方が多いと思うのですが、これは

政治家(=国会議員)が尊敬されてない

しかも高給取り

あんな給料もらいやがって、税金の無駄遣いだ!

そもそもあんな人数いらねーよ何やってんだよ寝てんじゃねーよ

というイメージに寄るところが大きいと思いますので、あまり論理的ではないと思います。まず、先進諸国との比較で考えてみることにしましょう。ちなみに政治家の数を比較するときは、人口比率(政治家一人あたりに対して人口が何名か)を考えるのが一般的であります。

まず「国会議員が多すぎる!」例として真っ先に引かれるのがアメリカ様で、日本と比較すると

にぽん:衆議院480名、参議院242名=722名 人口1億2千万
メリケン:上院100名、下院435名=535名 人口3億人

と、確かに絶対数でも人口比率でも大きく日本を下回っており、思わず「国会議員の首を半分はねとばせぇぇぇ!」と激高したくなります。

が、ちょっと待ってプリーズ。そもそも直接選挙でトップを選ぶ大統領制のアメリカと、議院内閣制の日本では代議士一人あたりの重みが違いますし、地方分権が進み地方の州議員が国会議員的な役割を担っているアメリカは、実質的な議員数は日本の数倍とも言われています。

他の先進諸国も比較に加えると、日本が特別議員数が多いわけではないことに気付きます。

にぽん:衆議院480名、参議院242名=722名 人口1億2千万
メリケン:上院100名、下院435名=535名 人口3億人
エゲレス(英):議員数合計1050名 人口6000万人
ゲルマン(独):議員数合計755名 人口8千万人
フランス(仏):議員数合計898名 人口6000万人

他にも枚挙に暇はありませんが、平均すれば日本は人口当たりの国会議員数は中位レベルであるといえるでしょう。なので「多すぎる=減らせ!」理論は一概には成り立ちません。

しかし、こうした前提があった上で、僕はなお国会議員の数は縮小していくべきだと考えます
理由は、大きく二つあります。

1点目は、国会議員のレベルアップです。

はっきりいって、今の日本の政治家のレベルは低すぎます。地方有権者の御用聞きになっているような二世議員は、地方議員ならまだしも国政は不要です。

前回の記事とも関連しますが、政治家に優秀な人が集まらないなら、数を半分にして給料を倍にするべきです。単純な解決策ですが、単純なだけに効果は高いと思っています。選択と集中の戦略の一つとして、国会議員は削減すべきというのが1点。

そして2点目は、「国会議員は、国民の代表である」という意識付けです。

みなさん国会議員を全員なんて知りませんよね?一般大衆に認知されている人なんて、せいぜいテレビや新聞に出てくる各党の代表・幹事長クラスくらいです。

しかし、こんな状態で「国民の代表」という意識を国民が持てるでしょうか?この意識の希薄さが、政治への無関心を助長しているように僕には思えます。

わかりやすい例をあげると、衆議議員は現在480名。これはなんと話題のAKB48の10倍にあたります。僕はAKBでは板野が大好きですが、それでも(?)顔と名前が一致するのはせいぜい半分以下で、480人のおっさんどもの顔なんて思い浮かべただけで吐き気がします(暴言)。

何が言いたいかというと、「顔と名前が覚えられる人数にしろっ!」というわけでは必ずしもなくて、「国会議員の数は、国民が監視できる(把握できる)レベルの人数であるべき」ということです。今の日本国民の政治意識からすると、国政に722人もの人数はあまりにも国民の手から離れすぎています。

国民の目が行き届き、「代表である」と意識が持てる程度の人数にアジャストしていくこと。これが逆説的に国民の意見を国政に届け、政治家が機能するために必要なことだと、僕は思っています。

というわけで、おそらく普通の人とは理由は違いますが(一番多いのは「給料も人数も減らせ!」という方)、たぶん国会議員の削減が必要ということではおおむね国民のコンセンサスが取れていると思います。

では、どうして国会議員の人数は(あれだけ選挙で公約されても!)一向に減らないのでしょうか?

ここにはいつも立ちはだかる、現職議員たちの「既得権益」もありますが、議員数を決定する選挙制度には、民主主義の根幹に関わるとても深遠な問題が内包されているのです

という流れで次回は選挙制度について語る道筋をつけつつ、会社の先輩がバースデーピザをおごってくれるというのでご飯を食べに行ってきます!彼女なんていらねぇよ、バースデー(死)

07:09 | syun | 国会議員の数は多いのか? -NGT(永田町)480- はコメントを受け付けていません
2011/09/21

冒頭から重大発表ですが、なんと今日は僕の28歳の誕生日でーす!おめでとー!ほぅら、台風が僕のバースデーを祝福してくれているよ。参院選の被選挙権を得るまであと2年だNE!

…さて、皆さまからの冷たい目線を感じたところで、誕生日の夜に一人でコラムを書いているオトキタです。こんばんは。天気が悪かったんだよ!←

さて、宣言通り今日は前回の給料問題に引き続き、

国会議員の数は本当に多いのか?

という争点をかなり個人的な視点でぶった切っていきたいと思います。一般的に、「日本の国会議員は多すぎるっ!」と思っている方が多いと思うのですが、これは

政治家(=国会議員)が尊敬されてない

しかも高給取り

あんな給料もらいやがって、税金の無駄遣いだ!

そもそもあんな人数いらねーよ何やってんだよ寝てんじゃねーよ

というイメージに寄るところが大きいと思いますので、あまり論理的ではないと思います。まず、先進諸国との比較で考えてみることにしましょう。ちなみに政治家の数を比較するときは、人口比率(政治家一人あたりに対して人口が何名か)を考えるのが一般的であります。

まず「国会議員が多すぎる!」例として真っ先に引かれるのがアメリカ様で、日本と比較すると

にぽん:衆議院480名、参議院242名=722名 人口1億2千万
メリケン:上院100名、下院435名=535名 人口3億人

と、確かに絶対数でも人口比率でも大きく日本を下回っており、思わず「国会議員の首を半分はねとばせぇぇぇ!」と激高したくなります。

が、ちょっと待ってプリーズ。そもそも直接選挙でトップを選ぶ大統領制のアメリカと、議院内閣制の日本では代議士一人あたりの重みが違いますし、地方分権が進み地方の州議員が国会議員的な役割を担っているアメリカは、実質的な議員数は日本の数倍とも言われています。

他の先進諸国も比較に加えると、日本が特別議員数が多いわけではないことに気付きます。

にぽん:衆議院480名、参議院242名=722名 人口1億2千万
メリケン:上院100名、下院435名=535名 人口3億人
エゲレス(英):議員数合計1050名 人口6000万人
ゲルマン(独):議員数合計755名 人口8千万人
フランス(仏):議員数合計898名 人口6000万人

他にも枚挙に暇はありませんが、平均すれば日本は人口当たりの国会議員数は中位レベルであるといえるでしょう。なので「多すぎる=減らせ!」理論は一概には成り立ちません。

しかし、こうした前提があった上で、僕はなお国会議員の数は縮小していくべきだと考えます
理由は、大きく二つあります。

1点目は、国会議員のレベルアップです。

はっきりいって、今の日本の政治家のレベルは低すぎます。地方有権者の御用聞きになっているような二世議員は、地方議員ならまだしも国政は不要です。

前回の記事とも関連しますが、政治家に優秀な人が集まらないなら、数を半分にして給料を倍にするべきです。単純な解決策ですが、単純なだけに効果は高いと思っています。選択と集中の戦略の一つとして、国会議員は削減すべきというのが1点。

そして2点目は、「国会議員は、国民の代表である」という意識付けです。

みなさん国会議員を全員なんて知りませんよね?一般大衆に認知されている人なんて、せいぜいテレビや新聞に出てくる各党の代表・幹事長クラスくらいです。

しかし、こんな状態で「国民の代表」という意識を国民が持てるでしょうか?この意識の希薄さが、政治への無関心を助長しているように僕には思えます。

わかりやすい例をあげると、衆議議員は現在480名。これはなんと話題のAKB48の10倍にあたります。僕はAKBでは板野が大好きですが、それでも(?)顔と名前が一致するのはせいぜい半分以下で、480人のおっさんどもの顔なんて思い浮かべただけで吐き気がします(暴言)。

何が言いたいかというと、「顔と名前が覚えられる人数にしろっ!」というわけでは必ずしもなくて、「国会議員の数は、国民が監視できる(把握できる)レベルの人数であるべき」ということです。今の日本国民の政治意識からすると、国政に722人もの人数はあまりにも国民の手から離れすぎています。

国民の目が行き届き、「代表である」と意識が持てる程度の人数にアジャストしていくこと。これが逆説的に国民の意見を国政に届け、政治家が機能するために必要なことだと、僕は思っています。

というわけで、おそらく普通の人とは理由は違いますが(一番多いのは「給料も人数も減らせ!」という方)、たぶん国会議員の削減が必要ということではおおむね国民のコンセンサスが取れていると思います。

では、どうして国会議員の人数は(あれだけ選挙で公約されても!)一向に減らないのでしょうか?

ここにはいつも立ちはだかる、現職議員たちの「既得権益」もありますが、議員数を決定する選挙制度には、民主主義の根幹に関わるとても深遠な問題が内包されているのです

という流れで次回は選挙制度について語る道筋をつけつつ、会社の先輩がバースデーピザをおごってくれるというのでご飯を食べに行ってきます!彼女なんていらねぇよ、バースデー(死)

07:09 | syun | 国会議員の数は多いのか? -NGT(永田町)480- はコメントを受け付けていません
2011/09/21

冒頭から重大発表ですが、なんと今日は僕の28歳の誕生日でーす!おめでとー!ほぅら、台風が僕のバースデーを祝福してくれているよ。参院選の被選挙権を得るまであと2年だNE!

…さて、皆さまからの冷たい目線を感じたところで、誕生日の夜に一人でコラムを書いているオトキタです。こんばんは。天気が悪かったんだよ!←

さて、宣言通り今日は前回の給料問題に引き続き、

国会議員の数は本当に多いのか?

という争点をかなり個人的な視点でぶった切っていきたいと思います。一般的に、「日本の国会議員は多すぎるっ!」と思っている方が多いと思うのですが、これは

政治家(=国会議員)が尊敬されてない

しかも高給取り

あんな給料もらいやがって、税金の無駄遣いだ!

そもそもあんな人数いらねーよ何やってんだよ寝てんじゃねーよ

というイメージに寄るところが大きいと思いますので、あまり論理的ではないと思います。まず、先進諸国との比較で考えてみることにしましょう。ちなみに政治家の数を比較するときは、人口比率(政治家一人あたりに対して人口が何名か)を考えるのが一般的であります。

まず「国会議員が多すぎる!」例として真っ先に引かれるのがアメリカ様で、日本と比較すると

にぽん:衆議院480名、参議院242名=722名 人口1億2千万
メリケン:上院100名、下院435名=535名 人口3億人

と、確かに絶対数でも人口比率でも大きく日本を下回っており、思わず「国会議員の首を半分はねとばせぇぇぇ!」と激高したくなります。

が、ちょっと待ってプリーズ。そもそも直接選挙でトップを選ぶ大統領制のアメリカと、議院内閣制の日本では代議士一人あたりの重みが違いますし、地方分権が進み地方の州議員が国会議員的な役割を担っているアメリカは、実質的な議員数は日本の数倍とも言われています。

他の先進諸国も比較に加えると、日本が特別議員数が多いわけではないことに気付きます。

にぽん:衆議院480名、参議院242名=722名 人口1億2千万
メリケン:上院100名、下院435名=535名 人口3億人
エゲレス(英):議員数合計1050名 人口6000万人
ゲルマン(独):議員数合計755名 人口8千万人
フランス(仏):議員数合計898名 人口6000万人

他にも枚挙に暇はありませんが、平均すれば日本は人口当たりの国会議員数は中位レベルであるといえるでしょう。なので「多すぎる=減らせ!」理論は一概には成り立ちません。

しかし、こうした前提があった上で、僕はなお国会議員の数は縮小していくべきだと考えます
理由は、大きく二つあります。

1点目は、国会議員のレベルアップです。

はっきりいって、今の日本の政治家のレベルは低すぎます。地方有権者の御用聞きになっているような二世議員は、地方議員ならまだしも国政は不要です。

前回の記事とも関連しますが、政治家に優秀な人が集まらないなら、数を半分にして給料を倍にするべきです。単純な解決策ですが、単純なだけに効果は高いと思っています。選択と集中の戦略の一つとして、国会議員は削減すべきというのが1点。

そして2点目は、「国会議員は、国民の代表である」という意識付けです。

みなさん国会議員を全員なんて知りませんよね?一般大衆に認知されている人なんて、せいぜいテレビや新聞に出てくる各党の代表・幹事長クラスくらいです。

しかし、こんな状態で「国民の代表」という意識を国民が持てるでしょうか?この意識の希薄さが、政治への無関心を助長しているように僕には思えます。

わかりやすい例をあげると、衆議議員は現在480名。これはなんと話題のAKB48の10倍にあたります。僕はAKBでは板野が大好きですが、それでも(?)顔と名前が一致するのはせいぜい半分以下で、480人のおっさんどもの顔なんて思い浮かべただけで吐き気がします(暴言)。

何が言いたいかというと、「顔と名前が覚えられる人数にしろっ!」というわけでは必ずしもなくて、「国会議員の数は、国民が監視できる(把握できる)レベルの人数であるべき」ということです。今の日本国民の政治意識からすると、国政に722人もの人数はあまりにも国民の手から離れすぎています。

国民の目が行き届き、「代表である」と意識が持てる程度の人数にアジャストしていくこと。これが逆説的に国民の意見を国政に届け、政治家が機能するために必要なことだと、僕は思っています。

というわけで、おそらく普通の人とは理由は違いますが(一番多いのは「給料も人数も減らせ!」という方)、たぶん国会議員の削減が必要ということではおおむね国民のコンセンサスが取れていると思います。

では、どうして国会議員の人数は(あれだけ選挙で公約されても!)一向に減らないのでしょうか?

ここにはいつも立ちはだかる、現職議員たちの「既得権益」もありますが、議員数を決定する選挙制度には、民主主義の根幹に関わるとても深遠な問題が内包されているのです

という流れで次回は選挙制度について語る道筋をつけつつ、会社の先輩がバースデーピザをおごってくれるというのでご飯を食べに行ってきます!彼女なんていらねぇよ、バースデー(死)

07:09 | syun | 国会議員の数は多いのか? -NGT(永田町)480- はコメントを受け付けていません
2011/09/11

野田内閣発足から2週間持たずして閣僚が一人辞任する今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。

もうここまで大臣がコロコロ変わると、それをいちいち認証官任命式で認証する天皇陛下も大変でしょうがないでしょう。そういう観点からも、この人たちは国民として失格ですね!プンプン。

まあそんな感じで政治家が不甲斐ないわけですから、いつの世も

「政治家の給料が高すぎる!」「まず国会議員が身を削れ!」

という議論が繰り返されるわけですが、本当に国会議員の給料って高いんでしょうか。

事実から申し上げますと、単純計算で日本の国会議員の収入は年間約4000万程度と言われています。内訳としては歳費(月々の給与)が月々130万、期末手当(ボーナス)が年間計635万、文書交通費が月々100万円、立法事務費が月々65万円といったところです。

この金額だけを見ると世界最高水準なのは確かで、米国で約1700万円、イギリスやフランス、ドイツは1000万円前後だそうです。けしからん!日本の政治家も給料は半分にするべきだー!!

…と言いたいところですが、まあお待ち下さい。
こういうものは、単純な金額だけでは比較できないものです。

結論から申し上げますと、僕は日本の国会議員の給料はまったく高いと思いません。その理由は大きく以下の3点です。

・雇える秘書が少ない(経費の支出が多い)

日本の法律では、公費で雇える公設秘書は3名までです。何度も申し上げているように国会議員の最たる役割は「法律を作ること」ですが、複雑怪奇な立法業務を議員活動の傍らに行うのに、3名程度のスタッフで足りるはずがありません。

そこで国会議員の先生たちは「私設秘書」というものを雇うわけですが、当然これは上記の収入から出すわけですね。大物議員ともなると数十人もの私設秘書を抱えていますが、一般にふつうの議員の私設秘書(スタッフ)は5~10名と言われています。

私設秘書を雇用する経費を、まあ少なく見積もって一人あたり年間400万(社会保障費のコスト含む)として、最低人数の5名だと考えてもこれだけで年間2000万円。収入の半分くらいはぶっ飛びますよね。

その他、政治家の人がよく配っているチラシなんかも自費ですし、文字通り「カネがかかる」政治活動はすべて歳費から捻出されています。よく言われるように政治家自身の「JRなどの交通機関はタダ」かもしれませんが、イベントや政治活動で移動するのは議員さん本人だけじゃないですよね?秘書やスタッフの分はもちろん自腹で支出です。

このあたりを諸々勘案すると、よっぽどうまく立ち回っている議員さんでも手元に残る年収は1千万円程度ではないでしょうか。

・選挙にカネがかかりすぎる

はい出ました、日本政治最大の問題点!

建前上、選挙にかかる費用は国から出ることになっていますが、事実上選挙前から始まっている「政治活動」には莫大なお金がかかります。

選挙のやり方にも因りますから一概には言えませんが、一千万以下の費用で国会議員に当選できる人はごくわずかでしょう。まあしかし、ここでは仮に1回の選挙費用に一千万かかるとして、次に話しを進めましょう。

・限りなく不安定な職業である

同じく「給料が高い!」と批判される公務員との最大の違いは、この点です。一度なればほぼ一生の雇用が保証される公務員と違い、政治家は落ちたら単なる人です。衆議院なら4年後、もし途中で解散したら1年か2年で無職になるリスクがあるのです。

というわけで、以上の3点を鑑みて計算してみましょう。

1千万かけて衆議院に当選し、運良く解散もなく4年間の任期を全うしたとします。
そして次の選挙で同じく1千万かけたものの、次は敢え無く落選してしまいました。

するとこの人の4年間の収入は

1千万×4年で4000万。ここから選挙費用2000万を引いて2000万。
これを4年間で割ると…

年収、500万!

これが国会議員の現実です。
(しかもかなり甘めの見積もり)

国民の代表、国家を舵取りを担う職業がこの程度の収入で良いと、僕は思いません。「政治家は志で食っていけ!」というのはその通りですが、実際問題稼ぎの良い仕事に優秀な人が集まるのは事実で、現状では賢い若者が政治家を目指すことはまずないと言っていいでしょう。

しかも日本は、一度サラリーマンの道から外れて政治家を志した人間が、また同じレールに戻ってこれることは非常に難しい社会です。仮に政治家を志し、一期で落選するようなハメになれば、その人の生涯所得は著しく低いものになってしまいます。こんな状況で正社員という地位を捨ててまでチャレンジできるのでしょうか。

政治家のレベルをアップさせるためには、

1.そもそも選挙にお金がかからなくても良いようにする
2.政治にチャレンジしても、企業勤めに戻れってこれる風土を作る
3.さらに給料を上げることで、優秀な人材を集める

こうした課題のクリアが必要なのは自明です。
自明なことが改善されないのが日本社会の摩訶不思議なところなのですが。。

では、具体的にはどのようにこの課題をクリアしていけば良いのでしょう?
社会の根幹に関わる根が深い問題に単純な処方箋はありませんが、まず次回はこのシリーズの続きとして

「国会議員の数は本当に多いのか?」

を検証してみたいと思います。
次週を待て!(おや、新しい展開)

10:11 | syun | 国会議員の給料は本当に高いのか? はコメントを受け付けていません
2011/09/01

9月に突入してしまいましたが、8月の終わりについに日本の新首相が誕生しました。仮にも政治コラムを名乗る以上これに触れないわけにはいかないので、候補者が乱立した代表選についてなんか書きたいと思います。

代表戦後、新聞やテレビでは代表選に対する厳しい総括が行われていました。「急な日程で議論が深まらなかった」という批判はもっともだと思いますが、「新小沢・脱小沢という論点に終始し、政策が見えなかった」というマスコミの意見に関しては

「そんな下らん質問に時間や紙面を割いたのは、おまえらだろうがぁぁ!!」

と叫びたくなってしまうのは僕だけですかね?

はっきり言って、マトモな国民ならもう小沢か否かどうかなんてどーでもいいと思ってるでしょう。それよりも財政(増税)やTPP、震災復興などについてもっと知りたいはずです(きっと)。

じゃあなんで、そんな部分にスポットが当たるんでしょう?
これについて知り合いのマスコミ関係者の方から、面白い話しを伺いました。

「政治部の記者たちに良く言えばベテラン、悪く言えば年寄りが多く、その人脈も古い。だから彼らが自信を持っている情報網は小沢系ばかり。であれば自然と、報道の中心が『小沢』になる」

そうです。
なるほどね、と。

ちょっと違う分野ですが、美容・ファッション業界では「今は逆にライター(or雑誌編集者)の評価するものは売れない」という説があります。

これは、現在美容雑誌などのコンセプトや紙面を決める力を持っている「実力者」たちの高齢化が進んでしまい、そのセンスが消費の主役である若者とズレてきているためだと言われています。

政治報道にも、同じことが起こっているのではないでしょうか?

本当に国民が知りたい情報にリーチできず、自分たちが得やすい・重要だと思う情報を押し付ける。それが「世間のニーズだ」と言わんばかりにスポットを浴びせ、挙句「政治の舞台では未だに『小沢』が焦点」だと結論づける。

こんなことが起こっていては、議論が「国民不在」になるのも当然というものです。

高齢化しているのは、政治の世界だけではない。その権力の監視機構であり、国民に情報を届けるマスコミにも、新しい世代の台頭が望まれるのかも知れませんね。

そんな代表選から新首相誕生への一連の流れの中で、僕がポジティブだと思ったことが2つあります。

一つは、戦後3人目の50代首相が誕生したこと。53歳の野田首相はいわゆる「現役」世代。これは素直に寿ぐべきことだと思います。やはり、未来に責任の持てる世代がトップに立つべきだと、僕は強固に確信しています。

二つめは、衆議院の首班指名(新首相が正式に決まる投票)において、29歳の横粂議員が自らに一票投じたこと
-議場内騒然…「横粂君」1票-

http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20110831-828162.html

最初にこのニュースを聞いたとき、「なんてアホだ!」と思いました。首班指名で自分に投票するなんて、これまでの「政界の常識」ではありえないことだからです。

でも、そう最初に思った僕の思考もすでに、政界のしがらみに染まっていたのかもしれません。総理にふさわしいと思った人間に、素直に投票すること。それが「世界の常識」です。若き横粂議員の行動は、政界という荒波に少なからず一石を投じるものであったと思います。

…まあ彼が次の選挙に受かるかどうかは別として、まずは若き首相、そして僕の大学の先輩筋にあたる野田首相に、大いに期待してみたいと思います。がんばれ新首相!

11:13 | syun | 「親小沢・脱小沢」が対立軸になるカラクリ はコメントを受け付けていません

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