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2013/11/26

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全国配布総合芸術誌フリーペーパー 『夜葉第2号』表紙

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裏表紙-最終頁/序文-編集後記

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詩文作家紹介頁〜古賀英樹写真作品

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古賀英樹写真作品その2〜塩尻寄生×嶌原佑矢共同作品

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RUMICA写真作品〜一夢零詩文

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広瀬鈴詩文〜RUMICA写真作品その2

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塩尻寄生×嶌原佑矢共同作品詩文+写真〜写真作家紹介頁

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塩尻寄生×嶌原佑矢〜共同作品詩文+写真

11月も終盤…しつこく続いた暑さが嘘みたいに
冷たい風が博多の街を吹き抜けて行きます.

今回は僕が2012年に制作した全国配布仄暗綜合藝術フリーペーパー
『夜葉』について、書こうと思います.

いきなり冒頭から各ページをどーんと紹介していますが
掲載サイズの問題で、少し視にくかったかもしれません.

この夜葉第2号の発行は、創刊号の発刊から2年かかりました.
いわゆる同人誌的なものという感覚は保ちながら
アングラに寄りすぎず、作品集ほどの重さもなく、
眼にした誰もが手に取ってその「紙」の感触に触れてもらえれば..
とそんな思いつきから始まりました.

制作の具体的な状況としては、僕はある程度裏方へ回って
出展作家さんのセレクトから編集レイアウト・デザイン..文章..
そのほとんどを若手である編集長さんに任せて創っていただくカタチをあえてとりました.

もちろん、その手間をかけずに僕が手元にまとめて制作したなら
もう少しくらいは手際よくまた予算も少なめで出来ていたかもしれません.

だけども、やっぱりこれからいろんなもの創りに触れていくだろう
若い世代に、任せてみたかったというのが、本音で
PCでのDTP知識も皆無の中、原稿や作品をコピーして
試行錯誤を重ね、糊とハサミで切り貼りして原稿を創ってくれる.

そのことが何よりも嬉しかったりします.
「器」は用意するのだけども、その場をどういうものに創り上げていくのか
それを見ているのが楽しみだったし、すっかりデジタル編集に慣れた自分には
予想も出来ないものが仕上がってくるときの嬉しさは格別だったりしました.

そういう中で創られたものだから、携帯写真の素材を使ってあったりと
創刊号はどうしても気持ちだけが先走り、稚拙で至らない部分も多かった.
だけど、この第2号(正確にはこれが第1号)は飛躍的にレベルが上がりました.

そこで、苦心されて創られた原稿を僕の方でデータ原稿として印刷へかけ
刷り上がったものを全国に住む参加作家の元へ発送する.
そこから彼らの手配りによって、「夜葉」は誰かの元へ届くことになります.
そうすることで初めて「夜葉」は全国配布という姿になります.

僕が写真展の前後、いろんなギャラリーやカフェを回るとき
「あのフリーペーパーの方ですね」と言われて驚くことが今回たくさんありました.

それほどのクオリティと雰囲気がこの第2号には在ったのだと感じます.
そして、手から手へ、手配り配布によって根差したものの残した感触が
そこには確実に存在していました.

意外な場所の意外な人へしっかりと入り込んでいた
「夜葉」…それが発行後何年か経っても僕の元へ言葉が届くこと.

それはやっぱり参加してくれた作家さんの作品はもちろん
苦心して創り上げた手作りの原稿..
「人の手」が関わっているからこそのものだと思うのです.

〜創刊によせて〜という文章の中で
作家であり初代編集長という大きな役割を担ってくれた
詩人・広瀬鈴さんはこう書いています.

前略)紙媒体を選択すること「紙」の持つチカラを付与させる。
「紙」には劣化という危険が伴うが、それは「時の表出」であり、
我々の存在の一部でもある。もし、ネットを精神と例えるならば
紙は肉体になろう。その両方を通じ、ひとは生き生きと立ち上がるであろう。
夜にさざめく葉のように、作家たちの声が聞こえると願う。

刻された想いを「手にとって」感じてほしい。
我々は新しき海原へ帆を上げる。

夜葉編集長 広瀬鈴

そして第2号で編集長代理となった一夢零さんはこう記す

夜葉第2号序文

何気なくフッと感じる一瞬を捉えたい
誰もがなんとなくやり過ごし
向き合うことを曖昧にして避けてきた
そこへ敢えて我々は降りてゆく
ざわめく夜の底へ沈んでいき
未明の仄暗さの中ですべての輪郭が曖昧になり
立ち上がってくる世界が在る
擦り切れてゆく神経の先に見えてくるもの
闇の粒子をとりこんだ光が加速する
夜明けの刹那に確かなあなたの足音が響き
今を歩き出してほしい

夜葉編集部 一夢零

どちらも言葉を扱う詩人作家ならではの言葉だと感じます.
二人の言葉の裏には、今何故「紙媒体」なのか…というのものが強くあって.

むしろ今何が確かであるのかさえ不明瞭な時代に
「紙で残す」ことで触感として触れ得るもの..
というものへの飢えにも似た感情が見え隠れする.

夜葉創刊号、第2号と参加してくれた作家たちは今、
それぞれの場所で大きな飛躍を遂げて行こうとしている方も多い.

作家として出展料など取らないスタイルのこの夜葉ではあるけれど
刷り上がったものをバッグ一杯に詰めて各作家の方々は配布して行った..
その感触が、何年かを経た今しっかりと僕の元に届きつつある.

それこそが、「紙媒体」であることの矜持だと僕は思っています.

夜葉第2号編集後記での僕の言葉

(前略)「よく見たいがあまりよく見えない、だけど見たいものがそこにある」
時間帯で言うならば日が暮れる直前の薄暮、若しくは朝が来る直前の「未明」
そんな雰囲気を持つ誌面作りを目指すことで、「未明」の薄闇にざわめく葉たちのように
作品を集わせる意味を持つものにしたかった。

やがて日は暮れる、やがて朝はやって来る。
闇に沈むもの、新しい朝日を浴びるもの…(中略)
その上で「夜葉」は「未明」の仄暗さを維持し続けて行きたい。

短時間であるかもしれないがその薄ぼんやりとした時間こそが
やがて見えてくるものへのざわめき、鼓動であると信じるからだ。

眼に見えるものばかりでなく、また闇を手探りするのではなく
うっすらと眼を細めて見えて来るものたちのざわめきに耳を傾け、
視線を向けてほしい。
そこにはきっと「未明」故の可能性を持ったものたちの意思を感じ取ることができるはずだ。

夜葉発行人 古賀英樹

あの集った「未明」故の作家たちは、より上へ..或いは深く、それぞれの作品と
向き合うようになっていった.
行く先々で、「第3号はいつですか」とも聞かれたりする.

夜葉に集う作家たちのようにうっすらとしか見えない作品、作家たち.
それを再び見つけていくためにはもう少し時間がかかる…
またそれでも良いだろうとも思う.

P.S.
ここでご報告を
来る12/1のJunkStage7周年記念パーティ…
博多から参加させていただこうと思っています.

なにぶん..こういうコラムしか書けない自分で
パーティっていう場にはなかなか馴染めない僕で
実物みて・・・となってしまわれるのもすごく怖いですが

今日まで連載させていただいて、またこのインディペンデントで制作した
「夜葉」を題材にコラムを書こうと思ったとき、これは東京へ視線を
向けるべきだと思いました。

ご来場される方々、どうぞよろしくお願いします。

作品の入ったデジタルフォトフレーム、写真展DMもいくつか持参しようかと
思っています。

2013/11/26 09:59 | hideki | No Comments